008 曇り時々晴れ
「雨は…………大丈夫そうだな」
真っ先に曇天という言葉が思いつくような空を見上げ、僕は呟いた。雲の多さのわりにはその厚みはあまりなく、おそらく雨が降るほどではないというのが僕の予想。出しかけていた折り畳み傘を鞄に戻し、背負った。
誰と連れ添う事もなく、一人校門を抜けて家に向かう。放課後の現在、僕と同じように帰宅する生徒は多いが、授業が終わってすぐだからか一人というのはあまりいないようだった。
とはいえ別にそれを恥ずかしいとも寂しいとも思わない僕は、一人でいる事に特に何の感慨も持たずにそのまま歩いて――
「おいーす、谷口。ひとり?」
僕を見つけて寄ってきたらしい、アッキーに声を掛けられた。
僕は頷いた。
「もちろん一人だよ。もし僕が誰かと歩いていたのだと思ったのなら、それは僕の守護霊か何かだ。見えない僕の代わりにお礼を言っておいてくれ」
「ありがとうだってさ、守護霊さん――って見えるわけねえし」
僕の適当なボケにノリツッコミ(宙をどつく動作付き)をかますアッキー。
「守護霊はともかく、谷口っていつも一人だよな。あ、たまに望月と一緒にいるけど」
「まぁ、確かに。僕が誰かと一緒にいる時、それが一番多いのは間違いなくもっちんだね」
「思うんだけどさ、それって楽しいか? いや、望月が面白くないって意味じゃなくて、なんつーか、せっかく人がいっぱいいる場所に一人でいるって、なんかもったいなくねえ?」
「それはつまり、僕にもっと友達を作って学校生活をエンジョイしろという意味?」
「んー、たぶんそうだな」
自分で吐いた言葉のわりに適当な言葉を返すアッキー。
クラス全員――いや、下手すると学年全員が友達だと思っている節のあるアッキーらしい疑問だ。こうやって、普通の人間なら聞きづらい事をさらりと聞いてくる所も彼らしい。
僕はアッキーの質問に答える前に空を見上げた。相変わらず雲に覆われ、一面灰色である。
「アッキーは、天気予報で『今日は一〇〇パーセント晴れます』と言われたら、どう思う?」
「へ?」
空を向いたままの僕の質問に、アッキーは間抜けな声を漏らした。
「どうするって、そりゃあ晴れるんだろ? 晴れるって思うしかねえけど」
「普通はそうだよ。だけど僕は、当然のように傘を用意する」
そう言ってアッキーの方を見たが、彼は何を言ってるのかさっぱりわからないといった表情をしていた。
まぁ当然だ。これだけで僕が言いたい事が伝わるなんて思っちゃいない。
「要するに、僕はそんな言葉が信用できない。もっと言えば、僕はほとんど常に他人を疑っている」
別に、誰かに裏切られてトラウマになるような失敗をしたという過去があるわけじゃない。僕のこれまでの人生なんて『平凡』の一言で片付けられる程度の、普通で、一般的で、ありふれたものだった。
ただ、もし僕がそういう風になってしまった理由があるとするなら、それはとても単純な話だ。
例えば、サンタクロースの正体が父親だったと気付いた時。
例えば、特撮ヒーローが現実世界に存在しないと知った時。
誰しもが必ず体験する、それまで信じていた世界の本当の姿を知るという経験。大人からすれば「当たり前」でしかない、些細で小さな裏切りの積み重ね。
そういった経験が、僕を今の僕として作り上げたのだと思う。
「だから僕は友達を作らない。いや、作れないと言った方が正解かな。他人を信用できない捻くれた僕が、他人と交わって楽しくやれるわけがない。それなら、一人でいる方が楽しくやれるというわけだよ」
そこまで言って、僕は改めて隣を歩くアッキーを見た。彼は「んー」と小さく唸って空を見上げていた。
お互いに言葉を交わさずしばらく経つ。アッキーは「うん」と何かに納得したように頷いた。
「なんつーか、谷口が結構めんどくさい奴ってことはわかった」
相変わらず言いにくい事をストレートに言うな、アッキーは。
「けどさ、やっぱ全部信じてないってわけじゃないんだろ? こういう話、してくれるわけだし」
「……まあね」
なかなか鋭い意見だと思う。
そう、基本的に他人を疑っている僕は、だからこそもっちんやアッキーとはこうやって普通に接せられる。
この二人は本当に裏表がない。純粋とはまさに彼らの為に作られたのではないかと思ってしまうくらい純粋で、まっすぐだ。捻じれに捻じれた僕とは正反対の存在だと言える。
だから彼らに対して僕らは、疑って接する必要がない。一足す一が二である事と同様、それはもはや定義と言ってもいい。僕という捻くれた人間が「普通」の人間と同じように付き合えるのは、それ故にこの二人くらいなのだ。
僕の心はほとんどいつも曇り空。雨が降るのか晴れるのか、はっきりしない疑惑の空。
もっちんやアッキーは、そんな雲を晴らす太陽なのかもしれない。
って、僕にはとんでもなく似合わない表現だな、これ。
「ん? どした谷口?」
「別に。単なる自嘲だよ」