012 道化
「道化ほど、この世で自己犠牲精神に満ちた者はいないのではないか?」
放課後の教室。掃除当番である僕は、同じく掃除当番の曽根原の言葉に、箒を動かす手を止めた。
「……例によって唐突な話題の振りだな。僕としては、君には考察より掃除の手伝いをしてもらいたいんだけど」
「嫌だよ。僕がサボり魔なのは知っているだろう? 授業すら最低限しか出てこない僕が、掃除なんてするわけないじゃないか」
「君は本当、なんで学校に通っているんだ」
「ふむ、前に言わなかったかい? 高校ぐらいは出ておかないと世間体が悪いからだよ。親の」
「君が親の世間体を気にするような人間には見えないんだけどね」
「何を言う。僕の将来の夢は死ぬまでニートだ。その為には親の庇護が絶対だろう?」
「最低だな、色々」
「せめて甘えん坊というくらいで済ませてくれないか?」
自分の言葉が面白かったのか、彼女はそう言うと押し殺すように笑った。僕はそんな曽根原の様子を見て、説得はやはり無理そうだと諦めた。期待はしていなかったがそれでも自然とため息が漏れる。
曽根原を表す言葉として一番似合うものに、僕は変人を挙げる。
登校はするくせに授業には出ないし、女子のくせに一人称は「僕」だし、無駄に遠周りで尊大な話し方だし、僕以上に捻くれているくせに捻くれ過ぎて逆にそれが当たり前のように(正常でこそないけれど)見えるし。
平穏を望む僕としてはこんな変人と絡みたくはないが、なんせ彼女は僕の目の前の席の主だ。
基本教室にいない(だからもっちんやアッキーが僕と話す時によく彼女の席に居座っている)彼女だが、「居なくても居る」曽根原はきちんと掃除当番もあてがわれている。掃除当番が二人組で、席順で、クラスメイトが偶数である以上、僕が曽根原と掃除をするはめになるのはまぁ、必然だった。
「話が逸れた。先ほどの問題提起に対して、ぐっさんこと谷口君はどう思う?」
掃除当番は義務なわけで、掃除にそこまで精を出しているわけではない。僕は近場の机に腰掛けた。
「何を思ってその話題なのかは意味不明だけど、まぁ真っ向から否定はしないかな。ただ、道化が一番というのは疑問が残るね」
「では何が一番だと思う?」
「あくまで自己犠牲という点を見るならボランティアとか。彼ら無償だし」
「らしくない意見だな、ぐっさんこと谷口くん。ボランティアは、極端に言ってしまえば『有る者』から『無い者』に対して行う施しだ。かわいそうだから。大変そうだから。辛そうだから。それは逆説、自分はかわいそうでなく。大変でなく。辛くないから。だからこそできる思考ではないかい? まったく、素晴らしく他人を憐れんだ思考回路だよ」
「反抗期みたいな物言いだな」
「捻くれ者はいつだって反抗期さ。もちろん、君だってそうだろう?」
曽根原のその言葉に僕は返答しなかった。僕が無関係を望んだ所で僕と彼女はいわゆる「同類」であり、共感できる部分は数多い。今回のそれに対しても。
「まぁ結局僕が何を言いたいのかというと、自らを貶めてまで他人を喜ばせる事を生業とした道化や芸人達には頭が下がる、という話だよ。わかったかい?」
「ああわかった。わかったからそろそろ掃除を再開しようか」
「そうだな。頑張ってくれたまえ、谷口くん」
会話のノリでの再挑戦は、案の定の失敗だった。仕方なく机から腰を浮かす。
「お、ぐっさん。それにマリさんまで」
それと同じタイミングで、これまで僕と曽根原以外いなかった教室に元気な声が飛び込んできた。もっちんだった。
「やあ、もっちんこと望月さん。僕らは只今絶賛掃除中だよ」
「君は何もしてないけどな。で、もっちんはどうしたの? こんな時間に」
「宿題のプリント忘れちゃって。あ、よかったら掃除手伝おっか? マリさん自由人だから掃除やってくれないでしょ?」
自由人という表現に、ものは言いようだと思った。
「望月さんは僕の事をよくわかっているなぁ。そうだ、僕は掃除をしない。だから望月さんが手伝ってくれると非常に助かるんだよ。谷口くんが」
「君がやればもっちんが手伝うまでもなく終わるけどな」
「それはつまり、谷口くんと望月さんの二人でもやればすぐ終わるということだな。それなら僕が無理にやる必要はないね」
「あっはっは。ふざけんなナマケモノ」
「あっはっは。ありがとう、理想形だ」
「あはは。じゃ、ぐっさん。もっちんさんとちゃちゃっと終わらせちゃいましょう」
「曽根原に甘過ぎるよ、もっちん」
しかし曽根原を説得するのは無意味だとわかっているので、僕はそれ以上何も言わなかった。
もっちんが掃除用具の入ったロッカーに向かい、僕はとりあえず箒を動かす。曽根原は、やはり自分の席に座っているだけだった。
「頑張って掃除してくれよ、道化くん」
こちらを見ながら放たれた彼女のその発言を、僕は無視することでなかったことにした。