018 SIGN
「で、そこでもっちんさんが――――あうぅぅ……」
「もっちん?」
例によって曽根原の席に居座っていたもっちんが、突如お腹を押さえてうずくまった。もっちんは前傾姿勢でお腹を押さえたまま、上目づかいに僕を見上げる。
「き、聞こえた? ぐっさん」
「何が?」
「……聞こえてないならいいです」
首を傾げる僕。もっちんがほっと息を吐いて、
――きゅるるるる、と細い音が聞こえた。
「はうぅぅ……」
再びもっちんはお腹を押さえ、今度は机に突っ伏してしまった。察しがついた。
「もっちん、お腹減ってる?」
「…………実はもっちんさん、寝坊して朝ごはん食べてません」
「そりゃあ腹の虫も鳴くね」
「飲み込んだ物を消化する時にも音は鳴るけれどね」
「ひゃう!?」
いつの間に教室に帰ってきたのか、自分の席に戻ってきた曽根原は机に突っ伏すもっちんの背後に忍び寄り、耳元で囁くように言った。もっちんは飛び上るように起き上がる。
「マ、マリさん? びっくりしたー」
「いやぁ、望月さんは反応がいいね? 驚かし甲斐がある」
くっく、と愉しそうに笑う曽根原は、自分の鞄を漁ってポッキーの袋を取り出した。一本摘まんでもっちんの鼻先に突きつける。
「お腹が空いているのなら、食べるかい?」
「いただきます!」
もっちんは突きつけられたポッキーをくわえ、咀嚼。曽根原はもっちんが食べるスピードに合わせてポッキーを押し込む。
何となく脳裏に「餌付け」という言葉が浮かんだ。
「ごちです。で、そういえばさっきマリさん言ってたけど、お腹がへってなくてもお腹が鳴るって本当?」
「ああ。あれは体内でガスが動く時になる音だからね。空腹の時は消化が終わった合図だけれど、それ以外の時でも、例えば空気を飲み込んでしまった時なんかも、それに該当するんだよ」
「へー。あれっててっきり、お腹がへったサインとかだと思ってたのに」
感心するようにもっちん。曽根原はポッキーを次々と突き出しつつ、自分もポッキーをくわえ、
「どちらかと言えばアラートだと思うけどね? なんせ食欲は三大欲求の一つなわけだし、エネルギーを補充してほしいという意味も込めて、体が発する警報だと思えばなかなか面白い進化だ」
「んー。でも、だからってお腹なるたんびに何か食べてたんじゃ太っちゃうわけで、べつにお腹が鳴ったからってすぐ死んじゃうわけでもないし、やっぱりサインぐらいなんじゃない?」
よくわかるようなわからないような言い合いだが、何故だか曽根原は納得したようで「確かに」なんて言葉を呟いている。七本目のポッキーがもっちんの口の中へ。
「確かに太るのは困るね。谷口君にはわからないだろけれど、僕たち女子という生き物は脂肪がつくという現象にそれはもう、強烈な恐怖心を持っていてね。いや、別に太っている人間を軽蔑しているわけではないよ? 自分が太ってしまうという現象・状態にこそ、僕たち女子は恐れるのさ」
なんだか思いもしなかった方に話が進んでいく。もっちんは同意するようにうんうんと頷いていた。
僕からすれば女子全般、特に曽根原の場合はもっと食べた方がいいんじゃないかと思うけれど。というか、曽根原みたいな変人にもダイエットなんて概念があるなんて思わなかった。
「長めに風呂に入ったり、体操をしてみたり、間食を我慢したり、実に涙ぐましい努力だと思わないかい? いや、君たち男子からすれば滑稽に見えるかもしれないね。しかし僕たちには体が発するサインを抑えなければならないほど重要な事なんだ。ねえ望月さん?」
「そーです。さすがマリさんわかってるぅ」
はやし立てるようにもっちん。ちなみにもっちんが今くわえているポッキーはちょうど一〇本目。
しかしこの状況、なにも言っていない僕が男子代表として責められているような気がしてしまうのは一体何故だ。
「ありがとう。ところでもっちんこと望月さん。ポッキーの摂取カロリーがどのくらいのものか知っているかい?」
「………………へ?」
曽根原の突然の言葉に、もっちんが凍り付くように固まった。
ああ、そういう流れに持っていくのか。
「栄養成分表によると一袋当たり二四八キロカロリーだそうだよ。一袋に入っている本数が二二本だから、一本あたりはだいたい一一カロリーくらいかな? 二四八キロカロリーと言えばそうだね、僕の記憶によれば望月さんぐらいの身長の人の一日に必要なカロリー量の約二割に相当するはずだけれど、さて望月さん。一〇本のポッキーを食べた君の摂取カロリーは一体いくらだったかな?」
「マリさんのばかー!!」
叫び、両手で顔を覆ってもっちんが走り去っていく。去り際のもっちんの目にきらりと光るものが見えたのは気のせいだろうか。
「まぁ必要なカロリー量を守って三食摂取すると、ずいぶんと味気ない食事になるんだけどね。しかし、やはり望月さんは面白いねえ、谷口君?」
愉しそうにそう言う曽根原を、僕は悪魔だと思った。