021 背中合わせの体温
「…………足りない」
「もっちん。言ってる事もやってる事も全然意味がわからないんだけど」
やー、ごめん、ともっちんは言い、改めて僕の前の席に座り直した。
僕の席にやって来るやいなや、もっちんは僕の頭に手を置き、数秒経った頃「足りない」なんて呟いたのだ。これでその行動の意味がわかる人物がいれば、それは間違いなく読心術の心得があるだろう。
そんな謎めいた行動と発言をしたもっちんは、普段より気の抜けた顔で机に顎を乗せた。
「で、何?」
「実はおとといから、もっちんさんのお母さんとお父さんが旅行に行っちゃってまして」
「うん」
「家が広いというか」
ああ、なるほど。
「人肌恋しいというか」
「人恋しいね」
「それです」
人肌だと語弊が凄まじい。とはいえ、もっちんが言いたい事は理解できた。
「それとさっきの行動に何の関係が?」
「うーん、なんていうかね。今だれかに触ってたい気分なんだけど、ぐっさんの頭をなでるぐらいでは足りなかった感じで」
「…………友達に抱きついてきたらいいと思うよ」
「かずはをぎゅってしてきたけど、なんか足りなかった」
されるがまま抱きしめられるクラスメイトを想像して、僕は心の中でご愁傷様と呟いた。
「あとマリさんに抱きついたらおでこにちゅーしてくれたけど、やっぱりなんか違った」
とりあえず曽根原を殴ってから話を聞こうと、僕は心の中で固く誓った。
「だから今度はぐっさんとスキンシップをとってみようかと思いまして」
「もっちん。悪い事は言わないから男子にそれは止めなさい」
「ぐっさんにもお触りなし?」
「……僕だといいという考えに行きつく理由がないんだけど」
だめかーと他人事のようにもっちん。もしかして僕は男としてカウントされていないのだろうか。だとしたら何となく複雑な気分だ。
しかし、今日のもっちんはいつも以上に危機感というか、女子としての気構えのようなものが足りていないらしい。他人から自分がどう見られているか、なんて事を気にしている様子がない。というよりこの場合、気にしている余裕がないのかもしれない。
一人でいる事が多い僕にとって、「人恋しい」という感覚は共感しにくい。もっちんのように家族が旅行で家が広くなる感覚は理解できても、それが寂しいとか悲しいといった感情には結びつかない。その時に考えるであろう事を強いて挙げるなら、普段はやらない家事をしなければならないのが面倒だ、ということぐらいだと思う。
僕の知る限り、もっちんには家族以上に近しい間柄の人物は存在しない。そして今、自分から最も近い場所にあったものがなくなっている。だから普段とは違う周りとの距離感に、もっちんは混乱しているのかもしれない。
まぁ単純に、寂しいから誰かと一緒に居たいというのが本音なのかもしれないけれど。
「あ、そうだ」
そんな風に考えていると、もっちんは何かを思いついたように立ち上がった。次いで曽根原の椅子を引きずって僕の後ろへ回り、椅子に腰を降ろした。
僕と背中合わせになるような状態で。
「んー…………悪くないかも」
こっちに体重を預けながら、もっちんは幾分明るくなった声で言う。
頭を撫でられた時とはまた違った感触が背中から伝わる。僕より少し暖かいような不思議な感覚。背中越しに体温を感じているような気分だ。
もっちんの言う「人恋しい」という感覚が少しだけわかったような気がする。もっちんがそこにいるという、存在感……いや、安心感のようなものがそこにあった。
なるほど、確かにこれなら「人肌恋しい」という表現もあながち間違ってはいないかもしれない。
「それはよかった」
なんとなくこの雰囲気を壊したくなくて、背中越しのもっちんの存在を感じながら、僕はそれだけ言ってこの状況を享受したのだった。