1-1 始まりはとある日常から

 

 

 

 

 

先代魔王がいなくなって一五年後。日本。

「ヤバいヤバいヤバいでぇぇえ! 遅刻してまうー!!」

一人のセーラー服を着た少女が、一〇〇メートル一二秒フラットという陸上選手並みのスピードで走っていた。

麻桜優里(あさくら ゆうり)、高校一年生。腰まである癖毛で跳ね気味の黒髪がよく似合うそれなりに美少女の彼女だが、今はその髪をたなびかせ、顔には焦りが浮かんでいる。

学生鞄を左脇に抱え、右手には少しばかりかじってあるバナナ。これは朝食代わりに持参したものだったが、今の優里にバナナを食べるながら走るなどという余裕はなかった。

現在時刻午前八時三三分。はっきり言って、学校に遅刻しそうなのだ。

優里は角を曲がり、そこで立ち止まった。学校の目の前にある信号が赤だった。目の前を何台もの車が通り過ぎてゆく。

「あ〜もう何でこんな日に限って止まんねんて〜」

つま先で地面を叩き、イライラした様子で信号を眺める。

現在八時三五分。授業の始まる八時四〇分までに教室に入っていなければ遅刻となる。しかし今のままでは普通に行くと確実に遅刻だった。

基本的にルールは守る優里だが、もうこの際信号無視した方がいいなと考え、車が来ない事を確認し始めた時、

「ゆーちゃぁぁん!!」

優里の背後から自分を呼ぶ叫び声が聞こえた。優里は露骨に顔をしかめたが、その声に応じる事はしない。

しかし呼びかける人間はそんな事を毛ほども気にしなかった。むしろ嬉しそうに、

「今日もそのツンデレっぷりが最高だぜぇぇ!!」

トップスピードを維持したまま、優里に向かってダイブした。

「朝っぱらからキショイねん!!」

言葉と同時に足が動いた。鋭い後ろ回し蹴りが、ダイブ中の金髪で一八〇センチ後半の人間の顔面にめり込んだ。

バキッ!! と、宙を飛ぶツンツン頭の金髪長身の男は空手有段者並みの蹴りで地面に叩き落されたが、すぐにむくりと起き上がる。

優里のクラスメイトの結砂流(ゆいずな ながれ)は、痛みに顔を歪ませつつも優里を見上げた。

「きょ、今日もいい蹴りだな……。もう一発こいやぁ!」

「マゾかアンタは!」

「いや、今もうちょっとでスカートの中が見え――」

「こんのド変態!!」

言い終える前に、顔を真っ赤にした優里が学生鞄の角で流の側頭部を殴打。ドコッ!! という壮絶な音が炸裂した。大リーガーも真っ青のスイングスピードに、たまらず流はマンガのように横飛びに吹き飛んだ。そしてゴミ置き場に盛大に突っ込む。

ちなみに優里の鞄の中身は、主にルーズリーフを納める硬いファイル系統と重い教科書である。強度と遠心力でいえば相当だ。

「そこで一生寝とけ!」

そうこうしている内に信号が青に代わったので、ゴミの山に埋まる流を放置し、優里は学校に向かって走り出した。時刻は八時三八分。校門には入ったが、普通に教室へ向かうには時間が足りなかった。

しかし彼女は諦めない。

「くっ、アホと関わってる場合やなかった……。こうなったら最終手段!!」

優里はすぐさま自分の教室のある校舎へと走った。彼女や流のクラスである一年一組の教室は、今優里が向かっている校舎の二階にある。

その教室の脇にあるのは、地面から屋上まで延びる雨どい。それを、

「ふんっ」

気合一発、のぼり始めた。身体能力のかなり高い優里は、わずか一〇数秒で一年一組の教室の脇まで辿り着いた。続いて窓をノック。

ちなみに遅刻寸前まで追い込まれている優里には、もうルールを守ろうなんて心情は空の彼方へと消え去っている。

「……………………」

窓のすぐ脇の席に座って読書にいそしむ、男にしては少し長めの黒髪の生徒、久瀬守(くぜ まもる)は窓の外の優里に気付き動きを止めた。かなり整っているが、感情の読みにくい無愛想な表情で優里を見つめる。

お互いを見つめ合う二人。数秒後、守は無言のまま、鍵を開けて窓を開いた。

「ありがと、守。もしや驚かした?」

そう言いながら窓枠に手と片足を引っ掛けた。だが守は、

「……………………」

「何の反応も無し?」

守は沈黙と無表情をたもったまま、教室の入口を指差した。

そこには、今ちょうど入ってきたばかりと思われる先生が立っていた。白い目で優里を見つめている。心なしかその額には、青筋が立っているように見えた。ちなみにこの先生、生活指導も担当しており規則にはかなりうるさい。

静まり返っている教室。授業の始まりを告げるチャイムが鳴り響く。

ようやく優里は全てを理解した。

「麻桜」

「はい」

未だ窓枠に足を引っ掛けたまま、優里は気まずさから視線を宙に泳がせる。

「後で職員室に来なさい」

「……すんませんでした」

優里はそう答えるしかなかった。

 

 

***

 

 

「ちくしょーあの先生、タイミング悪いわー」

「あんな所から入ってくるお前が悪い」

一時間目の授業が終わり、先生に説教され、ようやく解放された優里は守の机の上に座って文句を垂れていた。机の主は、そんな事は気にも留めずに本に視線を落としている。ちなみに本のタイトルは『豪華客船殺人事件〜犯人は被害者の恋人!〜』。

「いっつも遅れてくるくせに、遅刻してきた日に限ってちょうどの時間に来るってどうなん?」

「それはいつものように不運だったな。だが、遅刻してくるより窓から入ってきたって方が問題だ」

「いや、急いどったし。それに遅刻にもそれなりの理由はあんねんて」

優里が遅刻した理由は、寝坊したとかそういうありきたりなものではなかった。ただ、不運だった。

最初に目を覚ました時間は七時頃。これは優里の普段の起床時間であり、いつもの通りに行動すれば八時半までには学校に着く。

だが今日は違った。どういうわけか、麻桜家の時計という時計がジャスト一時間遅れていたのだ。優里がそれに気付いたのは八時三〇分過ぎ。朝のニュースを見てようやく気付いた。

いつもより早く起きたと勘違いして二度寝していた優里はそれから急いで身支度をし、朝食を抜いて全力で走って学校に着いたのだった。いつもは二〇分掛かる道のりを一〇分以下で来たのだから、彼女の頑張りは相当なものである。

「そのバナナは」

「朝ご飯代わり」

そう言いながら遅めの朝食を頬張っていると、

「おはようみんな! そして今日も可愛いなゆーちゃん!!」

教室のドアが開き、今朝優里がぶっ飛ばしたツンツン頭の金髪長身の変態が笑顔で挨拶した。

ゴミ置き場に突っ込んだ名残か制服のあちこちが汚れ、頭には紙袋が乗っている。しかし彼はそれに気付いている様子もない。

クラスのあちこちから、「おはよう」とちらほら返事が返ってくる。そんな中で優里は、

「……………………」

眉をひそめ、食べ終えたバナナの皮をゴミ箱に放り投げて、何であのアホは思いっきりぶっ飛ばしたのにピンピンしてんねやろなーなどと考えていた。

そんな優里に気付いた流は、笑顔全開で優里の方へと顔を向け、スキップ気味に歩みよってきた。頭の紙袋が動きに合わせて上下に揺れる。

「やあ、ゆーちゃん。さっきからオレに熱い視線を送ってくれて嬉しいぜ!」

「いや、熱ないからな。むしろめっちゃ冷め切ってるから」

「オレの熱く燃え滾るハートを冷やしてくれるその態度。最ッ高!」

「そのまま心停止するまで冷え切ったらええのにね」

「その時は人工呼吸よろしく!」

「鳥葬にしといたるわ」

優里と流の温度差激しい会話、何故か会話に参加していないどころか本を読んでいるのに二人と共にいる守。そんないつもの光景が出来上がる。

ちなみに鳥葬とは、死体を鳥に食わせる埋葬法。グロい。

 

 

***

 

 

一時間目が終了し、流が元気よく登校してきた頃。一年一組の教室を、一〇〇メートルはゆうに越える距離のある校門の塀の上から見つめる者がいた。

身長一七〇センチほど。平均的な体型をしているようだったが、ファンタジーに出てきそうなフード付きローブのせいで表情・体型ともにはっきりせず、男か女かもわからない。

「いやぁ、朝からすごいですね。さすがというか、やはりというか。相変わらず、と言った方がいいのかもしれません」

そんな彼もしくは彼女は、唯一見える口元に楽しそうに笑みを浮かべながら言った。

校門の外側の歩道からは変なものを見る目で通行人がその光景を見ていたが、本人はそれを気にしている様子もない。

「さてさて。まずはどう接触しましょうかねえ。少し面倒臭いのが周りにいるようですが」

腕組みをし、思案するように唸る。そんな彼もしくは彼女に、

「君。そんな所で何をしている。降りなさい」

青い服を着た国家公務員、つまり警察官が声をかけた。

「うわ」

振り返り、あからさまに不審者を見る目つきで自分を見る警察官を見た彼もしくは彼女は、すぐさま塀から飛び降り、そして、

「お、おい! 止まりなさい!」

「お断りします!!」

警察官がいるのとまったく逆の方へと脱兎の如く走り出した。すぐさま警察官が後を追う。

「ああもうっ! やはりあんな目立つ所登るんじゃありませんでした! 馬鹿ですね、自分!」

「待て貴様!!」

「待てません!」

ローブの者と警察官の、熾烈な鬼ごっこが始まった。

 

 

***

 

 

時が流れ、あっという間に放課後。

一年一組の教室でHRが行われている。担任の寒村(かんむら)先生が教壇で連絡事項を生徒に伝えていた。アメリカからの帰国子女で英語担当、あだ名はサムソン。

「ハイハイ皆サーン。部活に入ってナイ人は早く帰ってくだサーイ。今朝不審者が出たソーデス」

純血の日本人にも関わらず片言な日本語で連絡事項を告げた。この片言があだ名の由来。

「センセー質問! 不審者ってどんなの? ブリッジしながら歩くような奴?」

流が小学生みたいに元気よく手を挙げ、馬鹿みたいな質問をした。ちなみに彼は、そんな人間がリアルにいると思っている天然である。

「そんな不気味な不審者ではありまセーンが、マントを着込んで校門の上に立っていたソーデス」

「そんなレベルじゃ、不審者なんて言えねえじゃん。もしかしたらそっから誰か探してたのかも」

いやそれはないだろうと言われそうな、しかし実は何気に真実に近い意見を述べる流に、

「そんなわけあるかい。てゆーか、そんなとこで人探ししてる時点で不審者やろ」

優里が至極まっとうなツッコミを入れた。

「とりあえず用心するに越した事はナイので、皆サン気をつけて帰ってくだサーイ。では、サヨナラー」

連絡と挨拶の後、一年一組の生徒達はぞろぞろと教室を出始めた。優里も例外ではなく、生徒達に紛れて教室から出て行く。

「ゆーちゃん!」

そんな優里の後姿を目ざとく見つけた流が、爽やかな笑顔で寄ってきた。

流は顔立ちがなかなか整っているので、大抵の女子から見ればその笑顔はかなり魅力的なものだが、優里からして見れば鬱陶しい事この上ない。

「ゆーちゃん、今日も一緒に帰らない?」

「却下。てゆーか昨日も一緒に帰ってへんやろ」

「一緒に帰ったじゃん。オレの腕をそっと抱き締めて、寄り添うように歩いて帰ったじゃん」

「寝言は寝てる時に言うもんやって知らんのか? むしろウチの隣りで寝てる最中か?」

「やだな〜ゆーちゃん。隣で寝るなんてオレたちまだそんな仲じゃ――」

「くたばれ妄想野郎!!」

優里の右のアッパーカットが流の顎を捉えた。体重を乗せた見事な一撃に流が仰け反る。続いて左ストレートが鳩尾に入った。その一撃に背中を折った流に、とどめの上段蹴りが炸裂。

あまりの威力に、流は朝と同じくマンガみたいに吹き飛んだ。掃除用具入れに突っ込み、箒やらちりとりやらを巻きこんで倒れる。

優里はフンと鼻を鳴らし、足早にその場から去っていった。ほぼ日常茶飯事である一連の出来事に、他の生徒達は慣れた様子で関わらずにいた。

「あれでよくいつも生きてるよな」

少し離れたところから、守が他人事のように呟いた。

 

 

***

 

 

「はいっ、どーも! こーんにーちはー」

優里が家へと向かう、人通りの少ない道を歩いていた時。目の前に見知らぬ人間が変なテンションで現われた。

身長一七〇センチほど。ファンタジーなフード付きローブを着ていて、男か女かもわからない。優里は知らないが、つい数時間前まで警察に追われていた者だった。

数秒その人間を見つめ、見るからに怪しい人間とは関わらないようにしている優里は、

「……………………」

視線を外して無言でスルー、ローブの者の脇を通り抜ける。

「あれ。話しかけやすい雰囲気を出そうと砕けた口調で話しかけてみたんですが、シカトですか麻桜優里さん」

名前を呼ばれ、優里は立ち止まった。

「なんでウチの名前………………もしやストーカー!?」

「違います調べたんですそして携帯出して一一〇押すのやめて貰えませんか!?」

「近づくな怪しい奴! あと通話ボタンさえ押せば繋がんねんからな。下手な真似すんなや!」

携帯を耳に当てて通話ボタンに指をかけ、いつでもかけられるという体勢でローブの人間を牽制する。ローブの彼もしくは彼女は小さく溜め息をついた。

「とりあえず話くらいさせてください。自分の名前はジオキル。歴代魔王の使い魔をしています」

「魔王の使い魔?」

その言葉に優里は露骨に顔をしかめた。そして、

「……ふーん」

胡散臭げに呟く。

確かに優里はテレビなどで魔王の使い魔の存在を知っているし、写真などは見た事ないが、ある一つ、とても目立つ特徴も知っていた。

しかし、いきなり現われた顔もわからない変なロープ野郎の言葉では、たいした信憑性が感じられなかった。というか、信じろという方に無理がある。

「ああ、すいません。よく考えれば、こんな格好じゃわかりませんよね」

ジオキルはそう言ってローブを脱いだ。ローブで覆い隠されていた体全体が現れる。

後ろで軽く縛っただけの、地面に届きそうなほど長い銀髪。不自然なほど白く、そして整った男とも女とも取れる中性的な顔。優里とたいして変わらなさそうな年齢の容姿。優里を見つめる金色の双眸。全体的に線が細く、肌が所々露出している防御力の低そうで身軽な服装をしている。

そして一番目を惹くのが、

「これももちろん本物です」

人間にはあるはずのない、額にある眼だった。両目とは違い、その額の眼は血のように赤い。

確かにその眼は、テレビなどで聞いた事のある魔王の使い魔の特徴そのものだった。

「……それ、動いたりするん?」

「しますよ」

そう言うと同時に、額の眼がぐりんと優里の方を向いた。あまりに流暢な動きに優里は肩を震わせて驚く。

「とっ、とにかくアンタが魔王の使い魔やって事は信じたる。でもそんなアンタがパンピーのウチに何の用なん?」

かなり動揺、そして警戒しつつ、ジオキルから距離をとって優里は訊ねた。あまり意味がなさそうだが、一応鞄を盾にするように体の前に構える。

「実はですね、貴女にお伝えすることがあるんです」

ジオキルは待ってましたと言わんばかりにニッコリと笑い、声高らかに歌うように言った。

 

「貴女が魔王の後継者に選ばれました!!」

 

 

 

 

 

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