1-2 非日常を告げる音

 

 

 

 

 

ジオキルが言い放って約一〇秒、呆気にとられていた優里は、

「はぁ……。そうなん」

いまいち状況を把握できず、曖昧な返事をした後、

「ってはぁ!?」

ようやくジオキルの言葉を理解。思いっきり、そんな事は信じられないといった感じで、声を漏らした。

「ちょ、はぁ!?」

「信じられないのもわかりますが、二回も言わなくていいです」

「ふざけんな言いたくもなるわ! なんでウチが魔王に選ばれなあかんねん! どういう理屈でそうなんねん!!」

当然の優里の反論。しかしジオキルは先程までと変わらない、落ち着いた様子で答える。

「それはですね。魔王の力が貴女に受け継がれているからです」

「ウ、ウチに?」

困惑する優里に、ジオキルは頷く。

「知っての通り、魔王は何度でも生まれ変わります。そしてその力が受け継がれるのは、魔王が死んだ瞬間、正確には勇者に倒された瞬間に生まれた子供なのです」

「そ、そうなん? でもそれ、同じ瞬間に生まれた子供って何人かおるんちゃうん?」

世界では一分間に一五〇人の子供が生まれるという話がある。単純計算で一秒間に二人か三人だ。

「そうですね。三人ほどいます」

ジオキルは楽しそうに、

「その中で、一番魔王の適性が高かったのが貴女なんですよ」

「うへぇ。全然嬉しない」

優里はものすごく嫌そうな顔をしたが、ジオキルは全く気にした様子がない。

「てゆーか、魔王の適性ってなんやねん」

「え? もしかして興味持ってくれましたか?」

「言う!? そこまで興味ひかせといてそれ言う!?」

優里は全力でツッコミを叫んだが、ジオキルは完全に無視。アカン、コイツ苦手や。優里は心の中で舌打ちした。

「で、魔王の適性でしたね。それは」

ジオキルは白くて細い指を立て、

「不幸です」

「は?」

「不幸こそが、魔王の適性なんです。今日一日の貴女を観察させていただいてもわかりますが」

「アンタやっぱスト――」

「観察です」

笑顔で優里の言葉を遮る。

「朝、家の時計全てが遅れていて遅刻。その登校中全ての信号が赤信号。二限目体育、百メートル走スタートの瞬間に靴紐が千切れて思いっきり転倒。四限目化学、渡された薬品が実は違う薬品だったせいで煙騒動。昼休み、食事中に椅子の足が折れる。五限――」

「もうわかったから人の不幸を発表すんのやめてくれへん?」

マイナスオーラを発しながら、優里はマラソンを走り終えた後のようにぐったりと呟いた。ちなみに不幸体質の彼女にとって、これらはわりと日常茶飯事である。

ジオキルはそんな様子を見ながら、

「失礼しました」

笑顔で、しかし全く悪びれた様子もなく答えた。

「不幸はこの世界で唯一、負の力、つまり魔王が使う力を引き出せます。つまりその人が不幸であればある程、その魔王は強いということなんですよ」

「はぁ? なんやねんその理屈。てゆーか不幸ゆうたって、ウチなんてまだマシな方やろ? いじめられとったり会社倒産したり、その日の生活にも困るような人の方が不幸なんちゃう? いやまあ、他の二人がどれくらい不幸なんかは知らんけど」

一般的に見れば優里は不幸な人間だった。しかし、それはあくまでギャグで消化できるレベルであり、優理以上に本格的に不幸な人間など、他にいくらでもいるんじゃないかと、優里は思う。

ジオキルはその疑問に、それもそうなんですがと前置きしてから言った。

「そういう不幸の大小というか、濃度はあまり関係ないんですよね。とにかく量。そして貴女の不幸の量は、他の候補者より多いです」

「全然嬉しないけどな!」

不幸が他人よりも多いという点でも、それが魔王に向いているという点でも、全く褒め言葉になっていない。むしろ悲しくなる一方である。

「それで、魔王になってもらえますか?」

「や、無理」

ジオキルの質問にすぐさま真顔で拒否。これ以上にない真剣な顔と声で。

「な、なんだかものすごい否定ですね」

「いや当然やし。ウチは普通に生活したいし、世界征服する意味もないし、勇者に命狙われんのも絶対無理」

「えー?」

「えーゆーな! むしろ不満漏らしたいんはウチやんけ! なんでいきなり魔王になれとか言われなあかんねん! っと、そういうわけやから、却下ッ!!」

優里は踵を返すと、そのまま来た道をダッシュで戻る。家まで遠回りになってしまうが、ジオキルの前を通って家に向かうのもなんだか無理そうな気がした。

なんというか、こんな所でも不幸である。

走り去っていく優里に、呆気にとられていたジオキルは、我にかえって呼び止める。

「あ、あの、優里さん!?」

「ウチは無理やから他当たれ! ってかむしろもう魔王探しとかやめてな危険やから!」

振り向く事もなく言い放ち、優里は角を曲がってジオキルの視界から消えた。

ただ一人残されたジオキルは、ため息をついて首を掻いた。

「やはりそう簡単にはいきませんか。でも」

ジオキルは優里の去って行った角を眺めていた。もちろんそこには誰もいない。

「選ぶも何も、貴女以外に魔王にふさわしい人なんて存在しないんですよ」

ローブをはおり、フードを被るって人相を隠す。再び男か女か、外見では区別できなくなったジオキルは、うっすらと笑みを浮かべた。

「あの方と同じ魂を持つ、貴女以外に」

そう呟いて、優里が去って行った方角とは逆方向に歩き始めた。そして、もう日が落ち始めている夕闇に、紛れるように消えた。

 

 

***

 

 

翌日、四時間目が終わって昼休み。優里は机に突っ伏して盛大にため息を吐いていた。

原因は、昨日の事ではない。むしろ今限り、優里にとっては魔王云々以上に深刻な問題である。

「いやわかってんで? 自分が迂闊やったってことくらい。けど、それでもへこみたくなる時ってあるやんか」

誰に言うでもなく、一人ごちた。

この学校には昼休みと同時に開く購買がある。そのパン争いは熾烈を極め、授業が終わると同時に購買へ向かわなければ長蛇の列が出来てしまう。

今日は優里もその購買組に加わっていた。授業終了と同時に持ち前の身体能力を発揮し、列の前から五番目というかなりの好位置を獲得。しかし、

「ちくしょー。財布家に忘れたからジュースさえ買えんかったし……」

との事だった。全ての努力が無駄になってしまい、さらには昼食もなく、今の優里は不貞腐れるしかない。友達にお金を借りようかとも思った。しかし今から購買や食堂に行っても、パンも食堂の席も残っているはずがない。

「ゆうちゃん、お昼無し?」

そんな自分の迂闊さに打ちひしがれ、泥のように脱力している優里に声を掛けたのは、少しウェーブのかかった背中にかかるくらいの茶髪に、かわいらしい顔の少女。姫宮奏(ひめみや かなで)だった。

この学校で美人は誰かと問われれば一、二番目にその名が出てくるような美少女であり、同時に日本でも一〇指に入る大財閥の一人娘でもある。しかしそれを鼻に掛けない性格と誰とでも分け隔てなく接する態度で、かなり人気の高い生徒だった。

優里の親友でもある彼女は、女の子らしいこじんまりとした弁当箱を持っていた。

「そーやでー。あろー事か財布を家に忘れてくるゆーアホやってもーてんー」

「相当へこんでるね。喋り方おかしいし」

奏は椅子を引いて優里の前に座る。優里は深くため息をついた。

「もうやってられへん。ご飯抜きで午後乗り越えるとか無理やで? ほんま」

「まあね。私はそういう状況になった事ないけど、何となく想像はつくよ」

目の前に置かれた弁当箱を恨めしそうに眺め、優里は口をとがらせる。奏はいつもの習慣で優里の席へやって来たのだろうが、空腹の人間の前で昼食をとられては嫌がらせとしか思えない。

ちくしょーこいつめ、などと優里が思っていると、奏が優里の目の前にビニール袋を差し出した。中身はクリームパンとジャムパン(イチゴ)。

「そんなゆうちゃんにプレゼント。ちょっと少ないかもしれないけど」

優里は目を見開いて数秒間ビニール袋を凝視し、無言のまま視線を奏に移した。驚きの余り体がわななわと震えている。

「え……ええの? ホンマに? ここで冗談とか言われたら、ウチもう立ち直れへんで?」

「うん、冗談じゃないよ。風道(かぜみち)がお腹空いた時にっていつも買ってきてくれるんだけど、正直なくても困らないしね。だから」

「ありがとう奏!!」

そう言ってニッコリと笑った奏に、優里が抱きついた。親友の大いなる優しさに、迂闊にも優里の涙腺はゆるんでしまった。

対して優しき友人・奏は、母親が子供にするように抱きついている優里の頭を撫でた。

「よしよし。後でちゃんと風道にもお礼言っとくんだよ?」

「言う! ってか今言う! どこやどこにおる大路風道(おおじ かぜみち)!!」

「何か呼んだ?」

実は奏のすぐ後ろの席に座っていた大路風道が返事をした。

無造作な黒髪に三白眼。一見何処にでもいそうな彼だが、実は優里らと同い年でありながら奏のボディーガード(雑用込み)も兼ねている。

そんな風道の手を、優里は両手でしっかりと握る。

「ホンマありがとう! アンタが奏におやつ買ってけーへんかったら、ウチは飢え死にしてるとこやった!」

「う、餓え死には大げさだろ……」

潤んだ瞳で自分を見つめる優里に、風道は若干引きつった表情で返した。しかし優里はぶんぶんと首を左右に振り、

「いーや! どうせ次の数学の授業で例の如くランダムなはずやのにやたらとウチばっか当てられて、答えれんかったらネチネチ言われとったんや! 空腹であんなんやられたらホンマに死ぬで?」

成績が良くも悪くもないのに何故か毎日必ず当てられる優里の姿を思い出し、風道は頷いた。

実際、次の数学教師(昨日の一時間目で授業を受け持っていた)に、始業式から何かと目立つ優里は毎授業当てられていた。

「まぁ確かに。じゃあ何か飲み物も買ってきてやるよ。水分なしじゃ食いにくいだろ?」

「え? いや、それはええわ。さすがに悪いし」

遠慮気味に体の前で手を横に振る。しかし、

「いいんだよ。奏様のお飲み物を買ってくるつもりだったんだ。ついでで」

「む、風道。その奏様っていうのやめてって何回も言ってるのに。あと飲み物も別に頼んでないよ」

「あ……。すいません。でも、あるにこしたことはありませんから。じゃ、麻桜。奏様……じゃなくて奏さんをよろしく」

様付けして睨まれた風道はそう言うと、教室から出て行った。残された奏は不満そうに口をとがらせている。

「むぅ、結局『奏さん』かぁ。もう一〇年も一緒にいるのに」

「ずっと奏にだけ敬語やもんな」

「そうなの。小学校の卒業式の当日までは普通の話し方だったのに、その次の日からもうあれだったの」

「……ようそんな細かい日まで覚えとんな。ま、アイツにもアイツなりの理由があんねやろ。それじゃ、いっただっきまー♪」

そう結論付けると優里はクリームパンの袋を開け、嬉しそうにかぶりついた。奏も弁当箱の蓋を開け、箸を取り出す。

昼休みを一五分ほど過ぎて、ようやく昼食が始まった。

 

 

***

 

 

優里の昼食が始まった頃、守は廊下を歩いていた。食堂での昼食(きつねうどん。二三〇円)を早々と済ませ、教室へと戻っている最中である。

そんな五分と掛からない短い時間でも、読書家の守は本を読んでいた。題名は『二月一五日――その日、ペット業界が震撼した――』。

終盤に至るまでチラチラチラチラ出されていた伏線の謎がようやく解ける手に汗握るページを無表情で読んでいた時、守は気付いた。

(……魔力?)

微々たるものだが、学校内で感じるはずのない魔力を感じた。人のものとは違う感触の、どこか濁ったような魔力。

魔法が存在する世界とはいえ、それは誰もが使えるわけではなく、素養を持った人間にしか魔法を使う事も魔力を感じることもできない。

守にはその素養が、それも特別に強い素養が備わっていた。そんな彼だからこそ気付けた。例えるなら震度〇の地震のようなものだ。ほとんど感じる事はできないが、確かに発生している。その程度しかない微力な魔力。

守は魔力の出所を探る為、本を閉じ、足を止める。廊下の真ん中で立ち止まっているのも不自然なので窓際に立ち、目を閉じた。

意識を集中して魔力を探る。

数十秒後。

(……屋上か)

後ろを振り返り、窓ガラス越しに屋上の方を見た。そこに居たのは、

 

 

***

 

 

「気付かれましたねえ」

守が魔力に気付いたのと同時刻。

ジオキルは屋上から学校全体を眺めていた。昨日と同じローブ姿で、今は口元しか肌が見えない。その唯一見える口元に浮かぶのは、余裕のある笑み。

「思った通り厄介な人です。ですが、現段階ではまだ問題は無さそうですね。本人も気付いてないようですし」

そう言うと、ジオキルは向かいの校舎を眺めた。入口が封鎖され、本来は誰も出入りが出来ない無人の屋上。

しかし今。そこには何かがいる。

「さてさて。結構な問題が発生してしまいましたが……。これはある意味チャンスなんでしょうか」

結構な問題、と言っている割には全く危機感を感じさせない口調で、顎に手をやる。

「とりあえず彼はどうするつもりなんでしょうね」

そう言うと、ジオキルは走り出した少年に視線を向けた。

 

 

***

 

 

優里が食事を初めて約五分後。一年一組教室。

「お待たせゆーちゃん! さぁ、一緒に飯にしようぜ!」

遅めの購買組・流が教室に帰ってきた。ちなみに、優里並みに運動のできる彼が遅くなった理由は、四時間目の授業で爆睡して寝過ごした為である。

爽やかな笑顔全開で歩いて来る流に対し、優里は例によって露骨に顔をしかめた。うわ、来おった。てゆーか何でコイツはこんなにウチんのとこばっか来んねん。そう言わんばかりの表情で。

しかし流は、そんな事は気にしない。

「なっ……ゆーちゃんってばもう食っちゃってんの!? オレを待っててくんなかったの!?」

「何でアンタ待たなあかんねん。空腹で倒れるわ」

「大丈夫! 倒れたらオレが優しく看病するから!」

「力の限りお断りさせてもらう」

毎度の如く温度差激しい二人のやり取りを、会話に参加していなくとも奏は横でニコニコと笑いながら見ている。

「ところでゆーちゃん。飲みもん無し?」

先程までの会話など気にした様子もなく、パックの牛乳(二五〇ミリ)をストローで飲みながら流れが訊ねた。

対する優里も、もはやこのアホ(流)には何を言っても意味がないので、普通に対応する。

「ん? そうやで。かくかくしかじかで買えんかったから」

「かくかくしかじかじゃ全然意味分かんないけどまぁいいや。とりあえず無いんだったら、オレの牛乳いる?」

そう言って自分が今持っているパックを差し出す。

「くれんの? サンキュー、アンタたまには役立つやん」

対する優里もごく自然な動作で、パックを受け取ろうと手を伸ばした。

受け渡しまであと数センチ、その様子を見ていた奏が悪戯っぽく笑った。

「あれ? ゆうちゃんいいの?」

「何が?」

「それじゃあ間接キスになっちゃうけど」

優里と流の動きが同時に止まった。二人が奏を見つめて三秒、二人がパックに視線を移して二秒、二人がお互いに見つめ合って一秒。計六秒後。

「やっぱええ。いらん」

「ええっ!? 飲もうよ飲んでよ飲んでくれよ! そのキュートな唇をストローにつけて飲んでくださいッッッ!!」

「却下じゃボケェ! あと露骨すぎんぞアンタ!!」

やたらと大声で騒ぎ始めた二人だが、周りは慣れた様子で気にしていない。そんな騒がしくも、いつもと変わらぬ昼休みが過ぎていく。

しかし、

 

ドゴンッ!! という轟音とともに、平和な日常は終わりを告げた。轟音の直後、激しい揺れが校舎を襲う。

 

「なっ、なんや!? 地震!?」

「地震!? ゆーちゃん危ない! 早くオレの胸の中に!!」

「うっさい黙っとけアホ!!」

こんな時でも緊張感の感じられない馬鹿を一喝し、優里は身をかがめた。流や奏、他のクラスメイトもかがんだり机の下に避難したりして身の安全をはかっている。

揺れ始めて約五秒。揺れは突然、ピタリと収まった。

「お、終わったんか……?」

まだ警戒しながら、優里は恐る恐る呟いた。

物が散乱している教室の状況を確認する前に、ジリリリリッ! と、けたたましいベル音が辺りを支配した。警報の音である。

警報に生徒達がざわめき始め、そして不意にそれは止められた。間髪入れず、通告音無しに放送が入る。

『全校生徒に告ぐ』

「……あれ? 守やん。何やってんねやろ」

聞き慣れた声に少し意表をつかれたが、優里は少し落ち着きを取り戻した。

しかしそんな僅かな安堵も、守の言葉であっさりと崩される。

『全員、裏門へ向かって逃げろ。出来るだけ屋上から遠ざかるんだ』

守の言葉は、この学校にいる全ての人間が予想していなかったものだったからだ。

 

『モンスターだ』

 

 

 

 

 

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