1-3 彼女達の逃走劇
モンスター。それは、その生物単体ではありえない、元の遺伝子の他に全く別の生物の遺伝子を持つ生物。それ故に二種類以上の生物が混ざった形状をしている(例えば翼の生えた虎や、四本足の魚など)。
身体能力はもとより、どんな生物にでも生まれつき備わっている魔力も、普通の生物より数十倍持っている。
理性が消えて破壊衝動しか持たなくなり、その欲求を満たす為、破壊行動を繰り返す。
『怪物(モンスター)』と呼ばれるのは、それ故だった。
***
(今頃裏門はパニックでしょうね。まぁ、気付けてもそういう訓練を受けているわけではないでしょうし、逃げろと言うしかないんでしょうが)
そんな事を考えながら、ジオキルは向かいの校舎の屋上にいるモンスターに目を向けた。
体長五メートルほど。ゴリラを思わせる毛むくじゃらな上半身に、象のような太い足。その二本の足で地面に立ち、地面に届くほど長い腕を振り上げ、力を持て余すようにフェンスを殴りつけていた。
ゴリラの数倍はある拳で殴られたフェンスはぐちゃぐちゃになり、元の形など見る影もない。まだ地面に落下していないのが不思議なくらいだった。
興奮していますね、とジオキルは呟く。
(魔力を垂れ流しているあたり、力押しだけのパワー系ですか。訓練を受けた者にはそうでもありませんが、平和なこの国の警察程度では歯が立たないでしょう)
だからと言ってすぐ軍隊が駆け付けられるわけでもなく、今この場でモンスターに対抗できる人間は、誰もいないだろう。
(あくまで『人間は』ですがね。さて、動きますか)
そしてジオキルは、音もなくその場から消えた。
***
教室は、まさにパニックだった。
最初、守の言葉を誰もが『まさか』と思っていた。しかしそう思った直後、再び激しい揺れが校舎を襲った。
その揺れがおさまると、次に屋上からフェンスが落下。轟音とともに地面へとめり込んだ。
『屋上から遠ざかるんだ』
ぐちゃぐちゃにされたフェンスを見て、全員が守の言葉を思い出した。
屋上に近づくなという警告。頑丈なフェンスをここまで破壊するような力を持ったモノ。そしてモンスターという言葉。
これらを連想し、数秒の静寂の後、学校中の全員が裏門へと殺到し始めた。
優里もそれに漏れず、クラスメイトに混じって裏門へと急ぐ。
「おかしないか? モンスターって、魔王のいる所にしか現れへんねやろ? 日本に魔王なんかおらんやん! いやホンマにモンスターが屋上に居るんかわからんけど!」
「どうしてかはわからないけど、とにかく今は逃げた方がいいと思うよ!」
「それもそうやな!」
疑問は後回しにして、とにかく身の安全を確保する為に裏門へと向かう。
「奏様!」
そんな優里たちの元へ、風道が人垣を掻き分けて走ってきた。顔には焦りと不安が入り混じっている。
「風道!」
「怪我は!? 何処か痛んだりしないか!?」
息を切らせたまま、矢継ぎ早に問いかける。そこにいつもの奏に対する事務的な口調はない。
奏は首を横に振って、
「大丈夫。どこも怪我してないよ」
「そうか……。よかった」
ようやく安心したように息を吐いた。しかしすぐに表情を引き締める。
「奏様。こうも人数が多くては最短距離の方が時間を食います。少し無茶しますが、違う道から校舎を出ましょう」
「違う道て……。どっから行くねん」
そう言うと優里は辺りを見回した。
廊下は一直線で、逃げ惑う生徒達でいっぱいだった。押し合いへし合い、避難訓練の成果も何もない。おそらく他の通路でも似たようなものだろう。
そんな状況で、何処に他の道があるのだろうか。
「こっちです」
言いつつ、風道はすぐ近くの一年の教室へ入った。廊下の混雑とは逆に教室はみんなが避難し始めた事で誰も居らず、がらんとしている。
風道は教室を突っ切ると、そのまま窓から飛び降りた。
「風道!?」
「アンタ何やってんねん!!」
二階とはいえ、三メートルの高さはあるのだ。いくらなんでも躊躇なく飛び降りすぎである。
しかし急いで窓際へ走って下を見てみると、
「飛び降りてください。俺が受け止めます」
真下で声を張り上げている風道が、何事もなかったように立っていた。優里の隣で奏がほっと安堵のため息を漏らした。
「おお……。やるやんボディーガード。二階の高さくらいまるで問題なしか」
あまりにいつもどおりの風道の様子に、優里は思わず感嘆の声を漏らした。
「ゆうちゃんも二階まで雨どいから登ってくるでしょ?」
「や、登るんと降りるんは結構ちゃうで?」
「呑気に話してないで、早く降りてきてください!」
叫ばれ、二人は改めて下を見た。
たったの三メートル。言葉にすればその程度だが、見下ろすとちょっとした高さだ。大怪我はしないだろうが、さすがに飛び降りるのにはそれなりに勇気が必要である。
引け腰の奏は、顔だけ出して風道に問い掛ける。
「か、風道! ちゃ、ちゃんと受け止めてくれるんだよね?」
「何があっても受け止めます。俺を信じてください」
真剣な表情でそう言われ、奏は一瞬面喰ったような顔をした。それから表情を笑みへと変えて、
「もう、信じてるに決まってるんだから。それじゃ、いくよ風道!」
「怖がらずに思い切って――ぶばっ!?」
意を決し、いざ奏が身を乗り出した時、風道がいきなり噴き出して高速で顔を逸らした。何故か顔が真っ赤である。
「ススス、ストップです奏様!!」
「え? どうして?」
体の前で手を高速でわたわたと振る風道に、奏は身を乗り出したまま動きを止めて小首を傾げている。
風道はちらりと視線だけこちらに向けたが、何か見られない理由でもあるのか、またすぐに逸らした。
「? 風道?」
「ああ、あの、ですね……。ひっ、非常に、非常に言いにくいんですが…………」
顔ごと逸らしたまま何か言っているが、声が小さ過ぎて全く聞こえない。
「なに? 風道、聞こえないよ」
「その、だから……」
「あのさぁ、ゆーちゃん」
実は後ろにいた流が突然発言。
「アンタおったんか。で、何?」
「大路が言いたい事って、姫宮のスカートの事じゃないの?」
「「スカート?」」
優里と奏の視線が奏のスカートに向けられる。
現在、奏は飛び降りる為に窓枠に足を置いている。あまり長くないスカートの中から白い太股がわりと上の方まで露出していた。
優里の位置からはあまり問題ないのだが、三メートル下から見上げる風道の角度では………………
「ッッ!?」
奏は顔を真っ赤にして、即座にスカートを両手で押さえた。
「そういう事ははよ言わんかい! ってか、見てたんちゃうやろな?」
「ハッ、まさか。オレはゆーちゃんのしか興味ない!!」
言いきった変態に、優里は人差し指と中指で目を突いてやった。頑丈な流もさすがにそこは弱いらしく、『ぬぐぅぉぉお!』と悶えながら床を転げ回っている。
「かか、奏様。ほっ、発端は俺なんですけど、状況が状況ですから早く降りてきてください!」
風道が叫ぶ声で意識をそちらに戻す。まだ顔が赤いようだ。
あの様子やったらしっかり見えとったんやろうなぁと、優里は他人事のように考えた。
「じゃ、じゃあ行くね」
こちらも風道に劣らず顔の赤い奏が、スカートを押さえながら再び窓枠に足を置く。スカートが気になるせいか、さっきより体がフラフラしていて危なっかしい。
奏は一度息を飲むと、目をつむって一息に飛び降りた。
重力に引かれて落下する奏。一瞬後、地上で風道がしっかりと受け止めた。
「ナイスキャッチ。かっこええやんボディーガード」
優里は思わず拍手。なんだかあの二人だけ、映画のワンシーンのようだ。
風道は奏を立たせてからこちらを見上げた。
「麻桜も受け止めた方がいいのか?」
「安心しろ大路! ゆーちゃんはこのオレがお姫様だっこして飛び降りる!」
「却下。むしろアンタ一人で飛び降りろ」
「え……。それってつまり、さっきの姫宮みたいに俺に受け止めてほしいってわけか! それならそうと早く言ってくれれば――」
「勘違い激しいんじゃボケが!」
目潰しから復活した馬鹿が何か寝言を言っていたので、優里はそれを遮って背中に蹴りを入れてやった。意外と結構な力が加わっていた蹴りに、流が窓から落下する。
どしん、と。流は潰れたカエルみたいなポーズで、うつ伏せに地面に着地した。ギャグマンガよろしく愉快なポーズだ。
優里はそんな流れには一瞬も視線をやらないで、
「先、行っといて。アンタらおらん方がスカート気にせんで飛べるし」
「あ、ああ。わかったけど、あんまり結砂に無茶すんなよ」
「問題あれへん。そのアホのタフさはゴキブリと同等や」
そうですかと、風道は引きつった顔で呟いた。
実際、流が二階から落ちた程度で怪我するはずがないと優里は断言できる。なんせ優里が幾度となく本気でぶん殴っているのにも関わらず、鼻血の一つも出さないのだから。
奏と風道が走って行くのを見届け、優里は窓から飛び降りた。
一瞬の浮遊感。そして着地の瞬間に膝を畳んで衝撃を逃がす。
「ぐえっ」
何やら足元で変な声が聞こえたが、何事もなく地面に降り立つ。クッションがあったはいえ、予想以上に上手く着地できた。
今度から食堂へのショートカットに使ったろかなと優里が考えていると、
「……ゆーちゃん。乗るんならせめて腰じゃなく肩辺りにしてください」
地獄からの呻きみたいな声が足元から聞こえた。着地の瞬間にクッションにし、現在進行形で踏んづけている流が出した声だ。
「どけとは言わんねんな。アンタはドMか」
「え、だってこんなに無防備なゆーちゃんのローアングル見られるチャンスは今しか――」
「アンタはよっぽど踏んでほしいみたいやな!!」
ドスバキガスと何度か踏むと、流は沈黙した。気絶したらしい。
こんな事に気を揉まなあかんねやったら、今度からスパッツでも穿いてこよう。優里は心の中で決める。
とりあえず二階の混雑からは脱出できたので、優里も裏門へ走ろうと思ったが、
「……さすがに置いていくんもなぁ」
足元で絶賛気絶中の流を見下ろした。ここで優里が放置してしまうと、彼がモンスターに襲われた場合、優里がその原因を作った事になる。
はぁ、とため息をつき、もうちょい加減して踏むんやったとバイオレンスな事を考えていると、
「なんと言いますか、緊張感がありませんねえ」
突然、すぐ背後からそんな声が聞こえた。優里は即座に振り返った。
「ア、アンタは」
そこに居たのは、
「昨日の変質者ストーカーやんけ!!」
「まだそう呼ばれるんですか!? 変質者という新たなワードまでプラスされてますけど!」
魔王の使い魔ジオキルだった。昨日と同じローブを着ているが、フードは被っていないので銀色の髪や額の眼もしっかり見えている。
一通り叫んだ彼は、ふぅとため息を吐いた。
「モンスターが現れたというのに、貴女方は随分とのんびりしていますねえ。緊張感が足りな――」
「逃げんで結砂はよ起きろ!!」
ジオキルの言葉を完全に無視し、優里は流の脇腹を蹴った。わりと思いっきり。
『ごぶぅっ!?』という声とともに意識を取り戻した彼は、
「あれ?……オレ、ゆーちゃんに起こしてもらってる? 何この新婚夫婦の朝みたいな超幸せなシチュエーション?」
「妄想で痛みを超越してる場合とちゃうぞ! はよ逃げんで!」
「まさか愛の逃避行ってやつ!?」
「違うわハゲェ! モンスターよりタチ悪いヤツがウチらの背後におんねんて!!」
胸倉をつかみ、妄想で緩んだ流の顔を睨みつけつつ、ビシィッ!! とジオキルを指差し、必死に今の危機的状況を伝える優里。
指を差されたジオキルは少し困り顔で、
「いや、貴女方に危害を加えるつもりはないんですけど。むしろ忠告に来ました」
「魔王の使い魔にそんな事言われても信じられるか! むしろモンスターより危険度、たか、い………………んん?」
声高に叫んでいた優理だが、途中で言葉を止めた。
ジオキルの言葉を思い返す。
「忠告?」
「ええ」
ジオキルは頷き、優里達の背後――裏門の方向――を指差した。
「モンスターがあちらに移動しました」
「なっ……」
優里の息が詰まる。
「さすがにこれだけの大人数の移動は気付かれたようです。幸い、サイズの問題で校舎内には入れませんし、校舎自体なかなか頑丈なので、中にいれば助けが来るまでは持ちこたえられるでしょう」
「ちょ、ちょっと待ってや。中におれば大丈夫て、そんなら外にいる奴は? ウチの友達が裏門に向かってんけど」
震える声で優里は訊ねた。知らず知らずの内に、否定してほしいという感情が込められたその声。
込められた感情を知ってか知らずか、ジオキルはあくまで冷静に、冷酷ともとれる声で告げる。
「不運な事に、そのお友達二人ともう一人、現在モンスターと対峙中です」
今度こそ、優里の息が止まった。
「ですから、貴女方も早く校舎内に避難――ってあれ?」
ジオキルの言葉など最後まで効かず、優里は走り出していた。モンスターがいると言われた、裏門の方へと、全速力で。
「ゆ、優里さん? 何処へ行かれるんですか?」
「決まってんやろ助けに行くんや!!」
一瞬も待たず、一切の躊躇いもなく、返答。それだけ告げると、優里はあっという間に走り去ってしまった。
小さくなっていく後姿を呆然と眺めていると、
「くぅ――っ!!」
感極まったような声が横からした。見ると、つい先程までは静かだった流が、拳を震わせ唸っている。
「さっすがゆーちゃん惚れ直した! そうと決まればオレも行くぞ!!」
瞳をビッカァーッ!! と輝かせ、流は優里の後を追う。まったくあり得ない事に、彼の走った後には土埃が巻き上がっていた。
残されたジオキルは、しばらく小さくなっていく二人を何も言えずに眺めていたが、
「ぷっ、」
突然噴き出した。
「アハハハハ!! ハハハハハハ!!!」
一通り愉快そうに笑うと、彼は長い銀髪を掻き上げ、首を振った。
「そうですか、そうきましたかぁ」
誰に言うためでもなく、一人呟く。
その顔にあるのは呆れたような、しかしどこか嬉しそうな笑み。
「さすが『貴女』です。こうなってしまっては、こちらも本気でやるしかありませんね」
歌うように呟くと、ジオキルはローブを脱ぎ捨てた。