2-1 魔王生活一日目
「ん………………んん?」
差し込む日差しに、不幸なる高校生・麻桜優里は目を開けた。
ぼやける視界で部屋を眺める。夢も見ないほど深い睡眠から覚めた為、今いる場所がどこか上手く認識できない。
「あー…………家か。そっか、帰ってきたんやっけ」
緩慢な動きで辺りを見回し、今いる場所が自分の部屋だと確認する。
時計は朝の六時をさしていた。もっとも、昨日の朝に一時間ずれてしまった為、本当の時間は朝の七時だろう。
ふと、視界の隅に見慣れない紅い物体があるのを発見。摘まんでみると、キレイな紅に染まった髪だった。
「やっぱ夢ちゃうかってんな……」
自分の髪の毛先を眺めながら優里は呟く。記憶を少しずつ掘り返してみる。
昨日。優里の通う学校はモンスターからの襲撃を受け、親友である姫宮奏は殺される一歩寸前にまで追い込まれた。
優里はその奏を助ける為、魔王の使い魔であるジオキルより継承の儀を受けて今代魔王へと覚醒。手にした力でモンスターを倒し、奏と学校を守った。
あの後。優里は人目から逃げるように自分の家まで戻り、そのままベッドに倒れ込むようにして眠った。
おそらく、慣れない力に体力がついていかなかったのだと思う。昨日の昼間から今に至るまで、一五時間以上眠っていたらしい。優里にしては珍しい睡眠時間だ。
「慣れへん力、な」
そう呟くと自嘲気味に笑った。
当たり前だ。こんな力、欲しいと思った事すらあの一度を除いてないのだから。慣れているわけがないし、慣れたくもない。可能ならば捨ててしまいたい。
けれど、きっと無理だろう。そんな方法があると思えないし、第一ジオキルがいる。彼が魔王の力を捨てたいなんて、許すわけがないのだ。
(ま、それを覚悟でやったし、そこはしゃあない。けど……)
もう二度と今までの日常へは戻れない。その喪失感が胸でチクリと痛みを発する。
そう、戻れないのだ。
平凡だけど心地よくて。つまらないけれど楽しくて。不幸だけれど幸福だった、あの日常へは。
「………………」
ぐー。
「……………………腹減ったな」
真面目な空気にも関わらず、腹が鳴った。空腹に雰囲気は関係ないらしい。
とりあえず空腹を満たそうとベッドから立ち上がり、部屋を出る。
ちなみに優里はこのマンションに一人暮らしだ。正確には父親と二人暮らしなのだが、海外で仕事をしている父親は滅多に家に帰らない為、実質一人暮らしである。
母親は優里が物心つく前に亡くなった。他に兄が一人いるが、もう結婚していて家庭も持っている。
(魔王になったなんて言ったら、おとんとにーやはなんて言うやろうなぁ。おとん、泣くかもしれんなぁ)
おそらくしばらくは帰って来ない為まだ大丈夫だろうが、それは問題を先延ばしにしているに過ぎない。
そんな事を考えていると、再び腹が鳴った。とりあえずまずこの空腹を満たすのが先決らしい。
冷蔵庫の中身を思い出しながら、優里がリビングのドアを開けると、
銀の長髪に金色の双眸、額に三つめの赤い目をもつ魔王の使い魔が、エプロン姿で朝食をテーブルに並べている所だった。
「………………」
開いた口がふさがらない。度肝を抜かれ硬直する優里に気付くと、ジオキルは柔らかい笑みを浮かべる。
「おはようございます。よくお休みになられましたか?」
「ちょっ、ちょ、ちょ……」
「勝手ながら冷蔵庫の中身を使わせていただきました。優里様は、朝は和食派でしたよね?」
「ちょい待てやアンタ! アンタなんでここにおんねん! つーか何やっとんの!?」
「何って、朝食の用意ですが」
「そういう事を言いたいんとちゃうわ! なんでアンタが朝飯作っとんのかっていう話!!」
「とりあえず、冷めない内に朝食にしませんか? 食べながらお話します」
叫び続ける優里に、ジオキルはあくまで丁寧に対応。なんとなくペースを乱された優里は、ともかく食卓についた。
きれいに焼きめのついた旬の魚。ふっくらとしている卵焼き。良い香りのする味噌汁。粒のそろった白米。付け合わせの漬物、緑茶。かなり出来が良い、優里のいつもの朝食だった。
ちなみに用意されているのは優里の目の前にある一人前のみ。テーブルの反対側に座ったジオキルの前には何も置いてなかった。
「……何も食わんの?」
「自分は食事という形でエネルギーを接種しませんので。一応味覚はありますが、特に必要としません」
優里は無言で立ち上がると、台所へ向かった。
「アンタ、何飲みたい?」
「いえ、結構です」
「ええから飲めや。目の前に人がおんのに、自分だけご飯食べてんのは落ちつかへんの」
「……では、緑茶をお願いします」
了解と言って、優里はお湯を沸かす。しばらくして、湯呑に緑茶をいれて再び食卓についた。
お礼を言ってお茶をすするジオキルの前で、優里はまず焼き魚を一口。
「……めっちゃ美味いやんけ」
「お口にあって何よりです」
にっこりと笑うジオキルに、優里は閉口した。こういうタイプが周りにいない為、何というか、対応に困る。
「んで、さっきの質問に戻ろか。なんでアンタ、ここにいんの?」
箸で焼き魚をつつきつつ訊ねる。塩加減が絶妙だった。
「それはもちろん、自分は魔王の使い魔ですから。優里様の傍に使えるのは当然ですよ」
「当然言われてもなぁ。ほとんどないけどおとん帰ってくるし、にーやもたまに見にくるし、その辺どないすんねん。あと、様付けやめてな」
「そこは生き別れた血のつながらない肉親ということで」
「誤魔化せるか!」
「冗談ですよ」
笑みを浮かべるジオキルに、優里は思わず顔をしかめる。
「そこは追々どうにかします。ちなみに優里様ならばどうされますか?」
「どうって…………どうやろな。てか『優里様』はやめろと言うたやん。むずがゆい」
「そうは言われましても。自分が使える主君に様付けするのは基本ではないですか?」
「あーもーめんどいなぁ。せめて『優里さん』にしてくれ」
「では、優里さんで」
ぐったりとした表情で、優里は味噌汁を飲んだ。
風道に様付けで呼ばれる奏の気持ちは、たぶんこんな感じなんだろう。確かにこれは気分のいいものではない。
もっとも、奏の場合は別の要素もあるのだが。
「とにかく、家族はどうにかしてくれんのはわかった。ウチは特にいい案思いつかへんし、アンタにまかせる。で、や」
優里はそう言うと、思考を真面目な方向に切り替え、表情もそれにあったものを作った。
「結局魔王になったウチは、これから何をやったらいいん?」
魔王になって、まだ何も説明されていない。そういうわけでこの質問。
だが、優里が訊ねると、どういうわけかジオキルの動きが停止した。
湯呑を持ち上げようとして止まったその様子は、ロボットが停止した様に似ている。
「ど、どないしたん?」
「……これからどうするかと、訊ねましたか?」
「そうやけど?」
とりあえずこれからの行動指針を決めなければどうしようもない。それの一体どこに動きを止めるような事があっただろう。
湯呑をテーブルに置き、ジオキルは真剣な顔で優里の方を見た。人形のように整った顔でそんな真面目な顔をされると、なんだかこちらも緊張してしまう。
「な、なんや」
「優里さん」
ジオキルは真面目な顔のまま続ける。
「これから、どうしましょう?」
………………………………
「は?」
「ですから、これから何をしましょう、という話です」
「へ? いや、それはウチの質問やったはずやけど?」
「確かにそうなんですが……。歴代の魔王は必ずと言っていいほど自分の行動指針、例えば世界征服や世界への復讐などの目的を持っていて、ほとんど自分はその助言か裏工作ぐらいしかやる事がなかったもので」
「つまるところ、ウチみたいに漠然と何をしようかって聞いてきたようなヤツはおらんと?」
ジオキルが頷く。
優里の口から思わずため息が漏れた。まさかそんな言葉が返ってくるなんて、想像もしていなかったからだ。
「と、とりあえず、今後の為にも情報整理しよか。えーと、まず魔王ってなんなん?」
「それは昨日言いませんでしたか?」
「情報整理や言うたやろ。確認できるもんは確認する」
わかりましたと言って、ジオキルは説明を始めた。
「魔を統べる王、魔王とは、裏世界から来たモンスター達を対処・管理する為の存在です。モンスター達は空気の違うこの世界では、どうにも凶暴化しやすい。そんなモンスター達の暴走を止める為に、魔王は存在するのです。死んでも魔王が転生するのは、その管理者がいなくなる事を回避するためですね」
「ちょい待って。裏世界って何? 普通に言っとるけど、ウチは聞いた事ないで」
優里はテレビをよく見る方だし、新聞にも一応目を通している。普通の情報ツールは持っているのだ。ならば、どちらかと言えばあまり一般的でない単語ではないだろう。
「裏世界とは、文字通りこの世界の裏側の事です。こちらが表世界と呼ばれているのに対しての裏側ということですね」
「…………えっと、アレか? トンネルの向こうは不思議な町でした的な?」
「異世界というならば、一応は合っています。裏世界ではともかく、こちら側で裏世界の存在を知っている人はかなり稀有ですし、優里様……優里さんが知らないのも無理ありません」
「ふーん。で、その裏世界にはモンスターがいっぱいおると」
「ええ。裏世界は大気中の魔力濃度がこちら側よりもはるかに高いので、その影響でモンスターが多いと言われています。こちら側に来ると暴走しやすいのはその魔力が薄いせいですね。魔力はエネルギーに変換できますが、こちらでは大量にエネルギーは得られない」
空腹でストレスが溜まっている状態みたいなものだろうかと優里は解釈してみる。
もしかしたらモンスターの破壊衝動を抑えるのが、その空気中の魔力なのかもしれない。
優里は味噌汁の椀を口元に近付けつつ、
「他に……、こっち側との違いとかあんの?」
「そうですね。裏世界は科学より魔法学が発達しています。科学レベルではこちらより三〇年以上遅れていますが、魔法が生活の一部となっていますので、技術の差は十分にガバーできていますね」
「じゃあドラゴンファンタジーみたいな世界か?」
世界的に有名なゲームソフトの名前を言ってみる。あれも確か、科学より魔法が発達した世界で、モンスターや魔王と戦ったりするRPGだ。
「ええ、あの世界を想像していただければ間違いありません。あ、ドラゴンファンタジーと言えば、あのシリーズのシナリオの元ネタは、一〇〇年ほど前の魔王と勇者の戦いですよ」
「マジで!? じゃあ勇者がどこぞの王子やったり、人間になるのを夢見るモンスターがおったりすんのって実話なん!?」
「……優里さん。あくまで元ネタであって、全てが実際にあった事ではありませんよ?」
冷静にそう言われると、夢を壊されたような気がする優里だった。
「ま、まぁ、魔王と裏世界の事は何となくわかった。ほんなら次の質問な。昨日、ウチが握っていたあの武器は何?」
焼き魚の骨を箸で避けながら優里は訊ねる。
昨日、モンスターを倒すのに使ったあの大鎌。優里の身長以上の大きさにも関わらず、まるで羽根のように軽く、使い慣れた道具のように扱いやすかった。
気付けばその手にあったその武器は、同じく気付いた時には持っていなかった。
「ああ、『ストームブリンガー』の事ですね」
ジオキルは記憶を掘り返す様に言う。
「すとーむぶりんがー?」
「魔王専用武器、ストームブリンガー。意味は『天災を呼ぶ魔刃』。能力は、弱い魔法の無効化、魔力防壁の貫通、身体能力の超活性化などがあります」
「ああ、そんで……」
あの武器を手にしていた時、今までにないほどの力が体から溢れているのがわかった。てっきり魔王の力とばかり思っていたが、武器のおかげもあったのかもしれない。
あの力がなければ、一秒も満たない瞬間にモンスターと奏の間に割って入ってモンスターの腕を斬り落とすなんて事もできなかっただろう。
「しっかしまぁ、便利なもんやねんなぁ」
「魔王にしか使えないという限定条件がついていますし、不幸というエネルギーを吸い取って力を引き出していますから。条件の分だけ、都合のいい能力があるんです」
「へ? 不幸を吸い取ってる?」
「ええ。その武器は代償として所有者の不幸を求めます。不幸であれば不幸であるほど強い。その辺りは魔王の適性と――って、どうされました?」
何もあれへんと、力なく優里は答える。
不幸であるほどに強い。自分がどれだけ魔王に向いているのか、再確認させられているような気がして残念な気持ちになる。
「その、ストームブリンガー、やったっけ。それって普段は何処にあんの?」
「自分が持っています。魔法で亜空間に。魔王の力に慣れれば、優里様も好きな時に引き出せるようになりますよ」
「……四次元ポ○ット?」
「概念は一緒です」
なんだか、魔法が絡むと何でもありだと思ってしまう優里だった。
「他に質問はありますか?」
「うーん………………特にないなぁ」
昨日の今日だ。今まで魔王になってたいして興味がなかったので、いきなり訊かれてもあまり疑問が思いつかない。
ごちそうさまと言って優里は食事を終えると、食器を流しに持っていって再びジオキルの前に座った。
「じゃ、ある程度知識も増えた事やし、最初の話題に戻ろか。ウチは、これから何したらええの?」
「それを自分に聞かれましても。自分はあくまで使い魔であって、魔王様の行動方針を決めるなんておおそれた事はできません」
「ウチも魔王が何するかなんて全然わからんもん。ウチはまだ魔王なんて自覚ないし、嫌やったら拒否するし。だから、とりあえずでええから何か決めてや」
とりあえずですか、と呟いて、ジオキルは腕を組んだ。
少しだけ考えると、ジオキルは頭をあげて優里の方を見た。
「では、優里さん。とりあえず、もうこんな時間なことですし、」
「何?」
ほんの少しだけ身構えて、優里はジオキルの言葉を待つ。
ジオキルは特に表情を変える事もなく、
「学校にでも行きましょうか」
そう言った。