2-3 気付く者

 

 

 

 

 

「どないなっとんねん、ホンマ……」

机に突っ伏しながら、優里は呟いた。

八時二〇分。いつもなら一限目が始まるまで宿題をしたりする生徒もいるのだが、今日は授業の予定はない為、現在までに登校してきた生徒達は特にやること無さ気に喋ったり眠ったりしている。

優里もそれに漏れることなく机でまどろんでいる――ようにも見えるが、実際はそうでもない。

優里の頭の中には一つの言葉が何度も繰り返されていた。

 

『なんでゆーちゃんの髪と眼は紅いの?』

 

流は確かにそう言った。

ジオキルの魔法により、黒く見えるように錯覚されている優里の髪と瞳が。

魔法が機能していないという事は有り得ない。この教室内の普段通りののんきさは、何も異常が起こっていない証拠。優里が魔王であると認識されてしまえば、学校中がパニックになっているはずである。

故に、魔法は効果を発揮している。しかし流だけは気付いた。それが疑問なのだ。

もちろん優里も流にそう言われた後、ジオキルに問いただすべく家へと走ったが、すでにジオキルは家からいなくなっていた。現在彼がどこにいるのかはわからない。

疑問を解消する事も出来ず、優里は首を捻りながら離れた席で男友達と談笑している流に視線を移した。

何やら会話が盛り上がっているらしく、時々笑い声が聞こえる。こちらに視線が来ないので、とりあえず優里についての話ではなさそうだ。

(一応口止めはしといたけどアイツアホやし、いつ口を滑らすかわからん)

人としてはいいヤツなのだが、そういう所であまり信用しきれないのが優里の結砂流への評価だった。

(けど、ホンマに何でやろう?)

椅子に座り直して腕を組み、再び首を捻ってみる。

考えられるとすれば、流がすでに『優里=魔王』という認識を持っているという事だ。

確かジオキルの魔法は、『最初から優里の髪と瞳は赤いと認識している人物』に対しては効力が薄く、鏡越しでもない限り錯覚は起こらない、という話だった。

ならば昨日のあの場にいた流も、その可能性はないだろうか?

(…………ちゃう気がすんなぁ)

なんせああ言った後の反応が、「その色も超似合ってる! でもカラコンまでしてどういう心境の変化?」だったのだから。

そう、流は優里が髪を染め、カラーコンタクトを付けているのだと勘違いしていた。あの様子では、魔王だなんて微塵も思っていなさそうだった。

では何故、流は優里の変化に気付いたのか。

そして、それは今日はまだ姿を見ていない奏や風道にも言える事なのか。

その答えを導き出すすべを、今の優里は持っていない。

(やっぱジオキルをさっさと見つけなあかんな。つーか、アイツどこにおんねやろ?)

一応使い魔なのだし、呼べば出てきそうな気もするが、学校内で呼ぶには彼の容姿は問題があり過ぎる。下手すれば昨日のモンスターと同じくパニックだ。

結局、帰宅するまで彼を呼ぶという方法も使えそうにない。

「優里」

そうなれば色々と厄介だ。優里は疑問を解消できない消化不良と、流がうっかり口を滑らすという緊張感に苛まれ続けることになる。

「優里」

魔王になっても結局は不幸なんかー、と優里はそんな感想。

もっとも、不幸だからこそ優里は魔王に選ばれたのであり、不幸である事は魔王の証だということにまで彼女の頭は至っていなかった。

「人の話を聞け」

「あうっ!?」

いきなり額にチョップをかまされ驚きのあまり妙な声を出した優里は、反射的にたいして痛くもない額を抑えながら顔を上げた。

優里の前に立っていたのは久瀬守。登校して来たばかりなのか、手には学生鞄を持っている。

感情の読みにくい切れ長の瞳が、見下ろすように優里を見つめていた。

「あ、おはよ、守……ってかアンタ、昨日の大丈夫やったん!?」

挨拶を返しながら優里は守の体を見渡した。

目に見える範囲では普段通り。モンスターにぶん殴られてコンクリート塀に激突したはずだが、守に怪我らしい怪我は見当たらない。

「問題ない」

かなり短いそんな返答。一応健康体にしか見えないので、その言葉を信じてみる事にする。

「そっか。しかしまぁ、アンタの頑丈さも結砂とええ勝負やなぁ。ウチもうめっちゃ心配しててんけど」

安心したせいか少し破顔しつつ、優里はそのままいつもの無駄話へと移ろうとしていた。

しかし、

「………………」

守は沈黙したまま、優里を見下ろしているだけだった。というか、ほとんど睨んでいた。

「な、何?」

「………………」

「えと、守? ウチ何か変なこと言ったっけ?」

「………………」

「ま、まもるさーん?」

「……優里」

「な、何でしょう?」

反射的にうっかり敬語。

「ちょっと来い」

「え? ちょ、守?」

腕を掴まれ、優里は強引に教室の外へと連れて行かれた。

 

 

***

 

 

ずんずんと廊下を進んでいく守に引っ張られる優里。登校してきた生徒達の視線が気になるが、優里は守の手を振り払えないでいた。

どうしてそう感じるのかは分からない。しかし、教室を出てから一度も振り返らなかった彼の背中が、なんだか怒っているように見えたからだ。

有無を言わせぬ威圧感に何も言えないでいる優里に、守も何も語らない。二人は無言のまま廊下を進んでいった。

歩くこと数分。辿り着いたのは、昨日モンスターが一番はじめに現れたのとは反対側の校舎の屋上。優里達は知らないが、ジオキルがモンスターを観察していた場所である。

向かいの屋上とは違い、封鎖されていないその屋上にいるのは、優里と守の二人だけ。

「……で、何の用なん? こんな所に連れて来たんやし、秘密の話なんやろ?」

ようやく離された腕を組み、優里は疑問をぶつけた。

対して校舎への扉を背に立つ守は、何も言わず制服のポケットに手を突っ込んだ。そこから取り出したものは携帯電話。

折りたたみ式のそれを開くと、今時の携帯には当たり前のように付属しているカメラのレンズをこちら向けて――

「ちょわぃ!?」

思わぬ行動。しかし咄嗟にその場から体をくねらせて優里は退避した。非常に奇妙な動きと女の子らしからぬ声だったが、今の優里にはそんな事を気にする余裕などない。

なんせ機械の目には、優里にかかっている認識を誤魔化す魔法が効かないのだから。

「何故逃げる?」

「ま、まぁそれはやな……。そっ、そうそう! カメラで写真撮られると魂抜かれるって言うやろ!?」

「写っている写真の八割以上がカメラ目線のお前が言う事か? 今更そんなこと言えるような出来事が最近あったとは思えないが」

「うっ……」

そう言われると返す言葉がない。

「それとも」

守はそこで区切ると、

 

「お前が誤認の魔法を使っているからか?」

 

これまでと変わらない、まったくいつも通りに告げた。

優里の思考が一瞬、真っ白になった

「な、何言って――」

「俺は昨日、お前がモンスターを倒したのを見た」

淡々とした調子で守は言葉を続ける。

「紅い髪になり、赤い眼になり、馬鹿でかい鎌を使ってモンスターを倒した姿をな。その脇に立っていたのは、血のような赤い三つ目の瞳を持つ人間じゃないモノ。これは一体どういう事だ?」

うっすらと。元々鋭い双眸を更に細める。

 

「麻桜優里が、魔王になったみたいじゃないか」

 

どこか突き放すような冷たい声で、守は言った。

その言葉を聞いて、優里は天を仰いだ。

もう誤魔化せない。この容姿だけでなくモンスターを倒す姿まで見られたのであれば、どんな言い訳も通用しない。

紅い髪に赤い瞳を持つ者など、魔王以外存在しない。

血のような三つ目の瞳を持つ使い魔を従えている者など、魔王以外有り得ない。

この世界に生きる者ならば誰でも知っている常識。世界を支配しようと恐怖を振りまき、忌み嫌われる存在。

その存在に、優里はなってしまった。隠し通そうとした事実は、隠せなかった。

「…………そう、やな。守の言うとおりや。ウチは魔王になってもうてん」

いつもはきはきした優里らしくない、消え入りそうな不明瞭な声で言った。

優里と守は幼馴染だ。小学生の頃からの付き合いで、その腐れ縁は高校に入った今でも続いている。

活発な優里と寡黙な守。まるっきり正反対なはずだが、何故だか二人は馬があった。

一〇年来の幼馴染。そんな守に、自分が魔王になったなど、気付かれたくなかった。告げたくも、なかった。

親友というほどに仲がいいわけでもない。けれど、今まで続いてきた居心地の良い関係が崩れ去ってしまうなんて認めたくなかったから。

「そうか」

守は表情を変えず、それだけ言った。

………………

………………

………………ん?

「そ、そんだけ?」

「それだけ?」

ほんの少し、守の整った眉が訝しげに歪んだのが見えた。

「いやだって、ウチ魔王やで? 怖いとか恐ろしいとか、そんなん思わんの?」

「そんな事か」

「そんな事って……」

「別に。さっきまでの様子で、お前が容姿と魔力以外で何も変わっていないとわかった。なら、俺も何も変わらない」

淡々と、むしろ今日一番の冷やかさを持った声で言う。守がそんな声を出す時は、何かに呆れた時だ。

「第一、  奇妙な声を上げて身をくねらす女の何処が怖いんだ」

「それは別の意味では怖い分類に入らん?」

「どちらかと言えば気持ち悪い」

「ちょ、女の子に気持ち悪いとか言わんといて!!」

「なんだ。自分が女だという自覚があったのか?」

「アンタさっきからどんだけデリカシーないねん!!」

全力で叫んで、気付いた。

拍子抜けするほどに、いつも通り守と会話していた事に。

それほどまでに、優里の肩から力が抜けていた事に。

「……どういった経緯か知らないが、お前が望んで魔王になったわけじゃないことくらいわかっている。お前は他人が不幸になる事を誰よりも嫌っているお人好しだということも知っている」

優里の様子を見計らったかのように、守は普段通りの口調で言う。

「なら、肩書きがどうであれ、お前が麻桜優里だという事には変わりない。ただの俺の幼馴染で、クラスメイトだ」

そう告げると、守は言いたい事は言ったとばかりに踵を返した。教室に帰るつもりなのだろう。

そんな守の後ろ姿を眺めながら、優里は思わず破顔した。

変わらない。ただの幼馴染で、クラスメイト。

守のそんな言葉が嬉しかった。優里が魔王だと理解しつつ、今までと同じように接してくれると、宣言してくれたのだ。

いつも通りの仏頂面も、普段通りの淡々とした話し方も、その証。

口元に笑みを浮かべ、優里は守の後を追う。そこに今朝のような憂鬱な陰りは何処にもない。

だって、認めてくれた人がいたから。たった一人だけれど、優里は優里のままだと言ってくれた人がいたから。

その事実が魔王になってしまったというマイナス思考を拭っていた。

「まーもるっ!」

校内への扉に向かって歩く守の背中に抱きついてやった。優里の勢いに守が前のめりになる。

「……何だ」

首だけ回し、迷惑そうにほんの少しだけ眉根を寄せる守。

「似合わんセリフ吐きよってこのイケメンは。ホンマ、ウチやなかったらイチコロやでー?」

「知るか」

「照れんな照れんな。これでも誉めてんねんから」

「だから、知るか。それよりどけ。重い」

「ホンマにデリカシーないなアンタは!」

叫んで、背中におぶさるような体勢のまま、優里は守の耳元に顔を近づけた。

「守」

「何だ」

「ありがとうな」

心からの感謝を込めて、幼馴染にそう言った。

「別に」

守の返答はいつも通りの素っ気ない言葉。感情がこもっているのかと疑ってしまうような、短い言葉。

けれど、本当にいつも通りのその態度が嬉しい。優里の顔に笑みが浮かぶ。

そんな時、

「久瀬に変な事されてないかゆーちゃんっ!?」

ドッパァァァン!! と。かつてない勢いで屋上の扉が開かれ、流が飛び出してきた。そして同時に、硬直した。

何を言うとんねんコイツは。てゆうかなんで固まっとんねん。優里は心の中で突っ込んで、気付いた。

驚愕の表情で銅像のように固まる流の視線の先にあるのは、守の背中におぶさるように抱きつく優里。

問題 他に誰もいない二人っきりの屋上で、男子生徒の背中に抱きつく女子生徒の姿を目撃しました。一体どのような状況だと判断しますか?

「………………」

「………………」

「………………」

三者の間に、何とも言いがたい沈黙が流れる。特にやましい事をしたわけではないのに、優里は自分の頬が引きつっていくのがわかった。

何か、誤解を生んでいるような気がする。とりあえずこの状況から脱する為にまず守の背中から降りようとすると、

「ガフーッ!!」

胸を抑え、流は何か深刻なダメージでも負ったかのように地面に膝をついた。

「な、何て羨ましい光景なんだ……!」

「いやアンタ何言うとんの?」

「久瀬ェ……とりあえずお前は倒す!!」

「いやホンマに何言うとんの!?」

優里のツッコミも耳に入っていないらしく、流は拳を握って守に向かって走り出した。守は無言のまま優里を突き飛ばして避難させ、流の拳をかわす。

「落ち着け結砂」

「黙れこの野郎!!」

続けて放たれる左フックをしゃがんでかわした守の頭上から、流の下段突き。

守がとっさに地面を蹴って後方へ跳んだ直後、目標を失った下段突きが地面に突き刺さる。

アスファルトで舗装してある屋上の地面に、深々と。

「…………は?」

あまりの人間離れした力に呆気にとられる優里。昨日話していた四トントラック云々はどうやら本当の話らしい。

しかし、今問題なのは彼の馬鹿力ではない。その馬鹿力を容赦なく守に叩きつけようとしている流だ。

彼は今、本気で守を倒そうとしている。

「ちょ、やめとけ結砂!」

「いかにゆーちゃんとはいえ、こればっかりは聞けねえ!!」

右フック、左アッパー、後ろ回し蹴りのコンビネーションを繰り出しつつ、流は叫ぶ。

守は圧倒的なパワーをまともに受けるような愚は犯さず、右フックを後退して避け、左アッパーを体の位置を反転させてかわし、後ろ蹴りの軌道を手でわずかに逸らして受けきる。

突如始まった状況を、優里はハラハラしながら眺めていた。

流は優里の言う事が聞こえていない。こうなったら実力行使しかないかいやでもウチ魔王やしまだ力加減とかようわからんから下手に手ぇ出すのもなどど思考を巡らせていると、

「結砂」

守がぽつりと、

「さっきお前が見た光景を、俺とお前を入れ替えて想像してみろ」

そんな事を呟いた。それを聞いた瞬間、流の動きが止まる。

突然訪れた無音の静寂。そして五秒後、

「ゴフーッ!!!」

流が大量の鼻血を噴き出しつつ地面に突っ伏した。鬼の如く怒りの形相が、一瞬でまったくしまりのない至福の表情に変っている。

「もーゆーちゃんったらなんて大胆! そっ、そんな激しく抱きつかれちゃったらオレッ……」

「何で!? 何で一瞬でそこまでトリップできんの!? ってかさっきまでの親の敵ばりの殺気は何やったんや!!」

「ゆぅーちゃぁぁん!! キミのその包容力に乾杯!!」

「意味不明な発言しつつ飛びかかってくんな妄想変人!!」

ゴキィッ!! と、優里の右アッパーが流の頬に炸裂した。『魔王のパワー』プラス『理想的な角度とタイミング』で入った拳の一撃により、流は竹トンボのように高速回転しつつぶっ飛んだ。

「うわしもた! ついいつものノリで!!」

反射的に出してしまった拳を引っ込め、流に駆け寄る優里。後ろから「やっぱり変わってないな」という守の呟きが聞こえた。

 

 

 

 

 

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