2-4 従者の居場所

 

 

 

 

 

キーンコーンとチャイムが鳴り、昼休みに突入した。

「ぐわー、説明長いっちゅうねんっ」

奇怪な声を上げながら、優里は自分の席で伸びをした。

本日、優里の学校は授業がない。昨日のモンスターの出現に伴い、モンスターが現れた時の対応の確認・訓練を行うためだ。

この世界において、モンスターは天災と同じである。一般人が彼らと遭遇した場合の危険度は通り魔どころではない。人間相手を想定した格闘技程度では話にならないのだから。

重火器や戦闘用魔法を扱える人間でない限り、逃げるしか生き残る手段はない。故にこの訓練がどれだけ大切かはよくわかるのだが……

「四時間はやり過ぎやで……」

伸びから一転、机に突っ伏して優里は呟く。

遭遇時の対応や避難経路の確認。さらには実際の避難訓練など、午前中いっぱいを使って訓練は続いた。よく四時間分もそんな事が出来ると、優里は呆れ気味に思っていたりする。

しかし、それもようやく終わった。今日は授業がないので、あとは帰宅するだけである。

だが部活動のある生徒の為に食堂は開いていたりする為、一人暮らし(最近居候が一人増えた事は忘れている)の優里はお昼を済ませてから帰るつもりだった。

「奏……っと、今日はおらんかったな」

食堂へ誘おうと奏の席へ視線を向けて、空席のその場所を眺める。

結局、奏は学校へ来なかった。護衛の風道も同じである。

当然と言えば当然だろう。怪我をしなかったとはいえ、彼女は殺される一歩手前までいったのだ。その精神的負荷は優里の比でないかもしれない。

一応、休み時間にメールをしてみたが、少し体調を崩しただけで明日には登校できるという内容の返事が返ってきた。

心配かけさせまいとしているのかもしれない。しかし、強がる程度には元気があるのだろうと優里は解釈しておいた。

それはともかく、奏や風道は教室にいない。守も見当たらないのでもう帰ったのだろう。仕方なく一人で食堂へ向かおうとして、

「ゆーちゃんもしかして一人? オレも食堂で食べるから一緒にどう?」

小躍りしながらやってきた流に呼び止められた。優里はうーんと唸ってみる。

いつもなら鬱陶しいので即答却下なのだが、昨日の礼もあるし、何より気になる事が一つある。

なので、

「ええよ、別に」

そう言ってやった。

すると流はむしろ驚いたような顔で、

「マ、マジで? いいの?」

「なんや、嫌なんかい」

「そういうわけじゃないけど」

「じゃあええやん。席がなくなる前にはよ行くで」

優里はそう言うと、食堂へ向かって歩き出した。少し遅れて流がついてくる。彼の足音が軽やかなのは気のせいではないだろう。

「それにしてもさー。避難訓練長かったよね」

「長かったなぁ。説明も訓練も。長々と話してたけど、結局言いたい事は三つやったし」

その三つとは、

一つ、モンスターが出現した場合、速やかに出現場所から離れること。

一つ、避難の際は「おかし(押さない、駆けない、喋らない)」を徹底すること。

一つ、教員の指示には必ず従うこと。

「何て言うか、普通の避難訓練と変わんないし」

「高校生にもなって『おかし』はないわなー」

そんな事を言いながら、二人は食堂に着いた。

優里の学校の食堂は、味はそれほどだが値段は安く、小遣いの少ない学生には重宝されている。今日も昼食を安く済ませようとする生徒達でそれなりに賑わっている。

「……ん?」

流に席を確保しに行かせ、自分は注文の列に並ぼうとして、優里は異変に気付いた。

何だかよくわからないが、厨房の前にやたらと人が(女子と男子が半々)いる。それも注文しようとしている風には見えず、遠巻きに何かを見ようとしているようだった。

こんな事は今までなかった。確かにいつもは昼休みに突入するとともに混む食堂だが、今日は午後の授業はないし、何より注文する気もないのにこれだけの人が集まっている事がおかしい。

そんな学生達の中に、見知った女子のクラスメイト達を見つけた。厨房を熱心に見ようとしている友人の背中を優里はつついた。

「なあなあ。何なんこれ?」

「あ、優里。あのね、なんかすっごくカッコいい人が、今日から食堂で働いてるんだぁ」

「は? カッコいい人?」

思わず優里は疑問の声を上げた。

今まで食堂にはエプロン姿の四〇過ぎのおばさんしかいなかったはずだが。

「そーそー。見た事ないくらいキレイな顔で、喋り方とか超丁寧だし」

「家にお持ち帰りして飾っときたいタイプ? そんな感じのお兄さんなの」

「ふーん」

悦に入った表情でうっとりと語る友人に、優里が適当に相槌を打っていると、

「は? 何言ってんだよ。あの人、女だろ?」

知り合いの男子生徒が口を挟んできた。

「えー? 絶対男だよ」

「いやいや。あれだけの美人が男のわけねーじゃん」

「うん。声だって結構高いし、こんなところで働いてるんだぜ? 女だって」

「? 結局どっちなん?」

「男」

「女」

ほぼ同時に答えたクラスメイト達に、優里はあいまいに苦笑してみせた。

とりあえずわかったのは男にも女にも見える、かなりの美形ということ。そしてそのせいで、優里がなかなか昼ご飯にありつけないという事である。

この学校に食券の制度はない。注文するには調理する人間に直接注文と料金を言って渡し、受け取るというシステムである。

つまり、この人ごみを掻き分けて厨房の窓口とも言うべき場所に行くしか、昼食を受け取る事は出来ないのだ。

何て言うか、例によって不幸やなーなどと適当に考えながら、優里は人ごみに突っ込んでいく。

「む、ぐっ……ちゅ、注文せんのやったら集まんなよなぁ……」

言っても人がいなくなるわけではないが、思わず口から愚痴が漏れる。

数十秒後。魔王のパワーと昼ご飯への執念により、周りに迷惑そうな視線を向けられながらも、優里は何とか厨房の目の前まで辿り着いた。

「注文いいですかー」

五〇〇円硬貨を片手に、厨房の中へと呼び掛ける。

「はい、少々お待ちください」

そう言いながら厨房の奥から現れたのは、

 

その人間離れして整った容貌には果てしなく似合わない黄色のエプロンを装備した、眼鏡をかけたジオキルだった。

 

すってーん、と。優里は昔のコントのようにずっこけた。

「そんなカッコで何やっとんねんアンタは!?」

起き上がりざまに全力で叫ぶ優里。

びしりと彼女が指差したジオキルの格好は、シンプルなシャツとジーンズに『フォルス=ネイム』という名札のついた黄色のエプロン。切れ長で金色の双眸は黒縁の眼鏡で知的さを醸し出し、かなりこの場(食堂の厨房)には似つかわしくない。邪魔なのか、地面にまで届きそうに長い銀髪は三つ編みにしていた。ちなみに、魔王の使い魔の最大の特徴である額の紅い目は、どうやってかはわからないがきれいさっぱりなくなっている。

いつものジオキルとは違う格好。しかし、優里は彼が確実にジオキルだとわかった。

こんな容姿の人が他にいるはずがない。むしろいてたまるか。

対して指を差されたジオキルは柔和な笑みを浮かべたまま、

「何って、現代社会で生活していく為にはお金が必要ですから。仕事です」

「いやおかしいやろ!! アンタは――」

「えーと、優里?」

魔王の使い魔やろ! と叫ぼうとした時、いつもよりちょっと控え目な調子の友人の声が聞こえた。

予想外の状況にほぼ条件反射で突っ込んでいた優里が我に返る。

「あ、ごめん。何?」

「うん。あのね、優里ってこの人と知り合い?」

疑問に満ちた周囲の視線を代表し、友人が問いかける。

「ま、まぁ一応な」

うっかり我を忘れて突っ込んでいた自分にこっそり後悔しつつ、優里は曖昧に答える。

「どんな関係?」

「え、えっとな。ウチとこの人がどういう関係かというと……」

「うん」

「そっ、それはやな……」

何か言おうとして、言葉にならなかった。ただでさえ言い訳は得意でないのに、この人数相手である。優里の頭の中は真っ白だった。

そんな優里を見かねてか、ようやくジオキルが口を開く。

「実は自分、海外で仕事をなさっている優里さんのお父さんと知り合いでして。日本という国に興味があったので、今はホームステイをさせていただいています」

「そう、それやねん! ウチのおとん、外国人の知り合い多いから!」

ジオキルの嘘に話を合わせてみると、学生達は納得したようだ。「ふーん」とか「いいなぁ」とか、そんな声が集団の中から聞こえる。

「けど、こんな所におるなんて思わんかったわ。どうりで家におらんわけや」

「まぁ、黙っていたのはすみません。驚かそうと思っていたので」

悪びれた様子もなくそう言うジオキルに、優里は腰に手を当てて溜め息をついた。

自分はジオキルの容姿が目立つから呼び出すのを控えていたのだが、そんな優里の思惑とは裏腹に、彼はこんな形で学校に現れていたのだ。溜め息もつきたくなる。

しかし、わざわざ自らの存在が知られてしまうような危険を冒してまで彼がここに現れた理由は、一体何なのだろう。

「ところで優里さん。後でお時間をいただいてもよろしいですか?」

そんな事を思案していると、ジオキルがそう言ってきた。

「え?」

「お話したい事があるんです」

そこで区切ると、

「晩御飯の献立について」『貴女が聞きたい事について』

「ッ!?」

同時に聞こえた二つのジオキルの声に、優里の表情が驚きに染まる。

しかもそれは、例えばBGMのように、特に意識したわけでもないのに苦もなく耳に入り、理解する事が出来た。

魔法。起こった現象を理解出来ず、その単語だけが頭に思い浮かんだ。

「……わかった。けど、その前にちょっとええ?」

「何でしょう?」

「ラーメン一つ」

 

 

***

 

 

昼食後。優里とジオキルは食堂の裏手にいた。食堂の関係者以外は縁がなく、人通りがない場所である。その食堂関係者も、現在片付けや在庫の確認等でここへ来る事はほぼない。

「で、なんでアンタこんな所で働いとんの?」

脱いだエプロンをたたむジオキルを眺めながら、優里は腕組みして答えた。

まさか、現代社会で生活うんぬんが本当の理由とは思えない。

「簡単に言えば、優里様のお傍にいる為ですね。別に生徒や教員でもよかったのですが、いざという時に自由に動きにくいので。それに無理がありますから」

「言うて食堂の調理係もめっちゃ無理あるけど」

「一応、用務員という選択肢もありましたが」

「もっとないわ」

作業服で電灯を変えたり、ゴミ袋をかついだりしている長い銀髪の美形。

エプロン姿で料理を作っている姿の方がまだあると思う。いや、どちらも似合っていないのだが。

「てか、別にわざわざ姿さらしてウチの側におる必要ってあるん? 今までみたいに隠れとって、ヤバい時だけ出てきたらいいんちゃうの?」

「それでもいいんですが、もし誰かに自分と優里さんが話しているのを見られた場合、誤魔化したりするのは無理がありませんか? 『麻桜優里とこの人物はこういう関係である』という事実を作っておけば、わりと問題視されないものなんです」

なるほど、と優里は頷いた。

確かに校内でジオキルの姿を見られれば、確実に不審に思われてしまうだろう。

しかし、普段から学校内にいる人物であるという認識があれば、その問題は解消されるのだ。

「なのでこの格好をしている場合は、自分の事はフォルス=ネイムと呼んでください。さすがに本名が知れ渡るのは避けたいですから」

そういえばジオキルのエプロンにそんな名前の名札がついていたのを思い出す。

「わかった。じゃ、次の質問な」

優里は腕組みを解くと、右手をビシッとジオキルの顔に突き付けた。

「なんか魔法効いてへん奴がおんねんけど、どういう事なん? そいつにウチの目と髪が紅いって認識はなかったはずなんやけど」

そう前置きして、優里は流の事を説明した。

他の人物は気付かなかったのに、彼だけはそれに気付いた。なんらかの機械の目を通したわけでもないのに。

昨日のモンスターを倒した時にしたって、彼には優里がモンスターを倒したという事実を知らないようだった。ならば、あの時の優里の姿を見たわけではないのだ。

では、何故か。もしもそういう例外がある魔法なのであれば、それなりの対策が必要となってくる。

ジオキルは優里の問いに思案する様に、顎に手をやっていた。

「……確かに変ですね。魔法を見破る眼を持つ人物や解除する能力者なら話は別ですが、これまで見た限り彼にそういった素養はないはず。そもそも、それが出来る人間が学校内にいないからこそ、あの魔法を選んだんですが」

うーん、とジオキルは唸る。

「だとすれば、彼が優里さんの気付かない内にカメラなどで貴女を見た、というのが一番可能性が高いです」

「ってことは盗撮? まさか、いくらアイツでもそんなこと………………あかん、しそうや」

しないと断言はできなかった。むしろそのくらい普通にやっていそうで怖い。

「うへえ。ウチ、いつの間にかストーカー被害? 警察に電話しといた方がええんかなぁ」

「まぁまだ決まった訳ではありませんから、確たる証拠でもない限り大事にしない方がいいでしょうね。冤罪は怖いですよ」

無駄に爽やかな笑みを浮かべながら言うセリフではない、と優里は思った。

そういうジオキルにしても、優里の事を観察という名のストーカー行為をしていたので何気に同罪っぽい。

ウチの周りは変人ばっかりやな、とそんな感想。

「とりあえずアイツは一般常識ないからか知らんけど、ウチが魔王やとわかってないみたいやし、できるだけバラさん方向でな。知ってる人は少ない方がええ」

「おや。少ない方がいいなんて、もう誰かには知られているような口振りですね」

「き、気のせいやろ」

思わず出てしまった言葉に口を押さえながら、優里はジオキルから顔を背けた。

確かに守には知られてしまっている。しかし、あの寡黙な幼馴染が誰かに言いふらすような人間でない事は知っているし、その図も思い浮かばない。

おそらく大丈夫だろう。なんせ守は、何も変わらないと言ってくれたのだから。

「……なぁジオキル――」

一応自分の使い魔にくらいは言ってもいいか。そう思い、発言しようと口を開いた時。

 

ゾンッ、と。優里の延髄に悪寒が走った。

 

それは、何か刃物でも押しつけられたような感触。思わず首元に手をやるが、何もない。

しかしその悪寒はまだ続いていた。押さえつけた掌の下で、冷たく鋭利な何かが押しあてられ続けているような――

「どうされ――ああ、なるほど。そういえば、優里さんは初めてでしたね」

「な、何の話?」

理解不能な現象に戸惑う優里に、ジオキルは落ち着いた口調で言う。

「出現点は……また裏門ですか。まぁ今の時間なら人払いもすんでいるでしょうし、騒ぎになる前にどうにかできるでしょう」

「だから、何の話やねん!」

一人で勝手に話を進める使い魔に優里が怒鳴る。主人に激昂されても、従者の声は変わらない。

「優里さん。魔王が恐れられる理由がなんだったか、覚えていますか?」

「はぁ? 今の状況と何の関係が――」

「それがこれから約一〇秒後に起きます」

「くっ……」

ジオキルの言葉に、優里は唇を噛んだ。

彼の言葉の意味がわからないから、ではない。むしろ、それは誰よりもよくわかっている。

何故なら、今優里の脳内に浮かんでいる映像こそが、それだったからだ。

何故そんなモノが見えるようになったかなんてこの際どうでもいい。重要なのは、それを優里の直感が真実だと告げ、それを優里が何の疑いもなく信じているという事実。

とどめとばかりに、ジオキルの言葉が優里の考えを絶対の真実だと裏付けた。

魔王が人々に恐れられる最大の理由。

優里は駆け出した。自分の脳内に映る場所、裏門へと。

 

「モンスターが、出る……!」

 

優里が呟いたのと同時に、空間を裂いてモンスターが現れた。

 

 

 

 

 

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