〈六〉リトルバスケットボールプレイヤー
辻斬り事件から一週間。
俺と龍次はかなりクラスに馴染めていた。犯人達を捕まえたっていうのもあるが、春菜と打ち解けられたのが主な理由だ。あの時の様子が目撃者から伝播したらしい。大人しい春菜と危険人物と見なされていた俺達の会話は、本人達が思っている以上にみんなの警戒心を解いた、というわけだな。
今思うと、あそこで会長に命令をきいといて本当に良かったと思う。あのままだったら周りに馴染むのはもっと先だったろう。会長が怖かったが、米俵は重かったが、まぁ今となってはいい思い出だ。たぶん。
「では、今からバスケットの練習を始めます。女子は試合形式で、男子は適当にやっててください」
「適当!?」
「え? どうしたの鮫島君?」
「あ、いや、何でもありません」
先生の投げやりすぎる言葉に、口が勝手に反応していた。何この条件反射能力。全然必要性を感じない。
ついでに説明すると、今は体育の授業。外は雨なので男女で体育館を半分ずつ使っている。先生は女子担当の人が一人だけ。男子の先生は風邪で休みなので、放任という形だが俺達はバスケットをやる事になった。
ちなみにウチの学校はA組とB組、C組とD組、E組とF組という感じで、二クラス合同で体育をやる制度。そんな感じで、現在体育館は約八〇人の生徒がいるわけだ。
いるわけだが……
「なぁお前ら。いくら先生が適当にやっていいって言ったからって、そこで女子を見学する方向になるのはいかがかと思うんだが」
男子の半数(二〇名前後)が、女子の試合を眺めていた。しかもその内の半分以上がウチのクラスという悲しい現実。
その中に混じっている龍次が、顔だけこっちへ振り返った。
「いいじゃん別に。体を休めるのだって体育だぞ?」
「いやそれはない」
それは毎日一生懸命やる事に使う言葉であって、週二、三回に一時間程度しかやらない体育には当てはまらない。
「みんな、何をやってるんですか?」
龍次に言葉で突っ込み、心の中で補足を入れていると、揚羽が隣りにやってきた。当然、その格好は半袖半パンの体操服。ちなみにこの距離で直視はできません。体のラインがはっきり出るこの服装は、俺には刺激が強すぎる。
「どうしました?」
視線を背ける俺に、小首を傾げる揚羽。どうやら自覚症状はないらしい。
「いや、気にするな。それより揚羽は試合出なくていいのか?」
「順番がまだなんです。試合出てない人は、何やってもいいって先生が言ってたんですよー」
そう言われれば、確かに男子のコートへ侵入してきている女子も何人かいる。何やってもいいって。いくらなんでも放任し過ぎではないですか、先生。
「なるほど。で、揚羽の順番は?」
「次の試合です。あ!」
揚羽が声を上げる。視線の先では、朱音が流れるような足さばきでディフェンスをすり抜けるようにかわし、レイアップシュートを放った所だった。
パサッ
ゴールの板の黒枠(正式名称は知らない)で跳ね返り、スムーズにゴールへ吸い込まれる。さすが朱音。専門でもないのに上手いな。
「烏丸さんってクールで静かなイメージがあるんですけど、体育すごいですよね!」
「まぁな。あいつはちょっと特別だから」
チームメイトとハイタッチを交わしている。その表情はどこか余裕のある感じの微笑だった。ううむ、あまり認めたくないが、ちょっとカッコいいぞ。
「ん、試合終わったっぽいな。そろそろ行ってきたらどうだ?」
「そうですねー。じゃ、頑張ってきます!」
送り出すと、揚羽はこちらに手を振りながらコートへ入っていった。いちいち大袈裟な奴だ。
しかしアイツ、結局最期まで気付かなかったな。
「いやー、いいもん近くで見れたー」
「白井さん、あのかわいさであの体型って最強じゃん……」
「あとはブルマだったら完璧だな」
揚羽の姿を見かけるやいなや一気に接近してきた五、六人の男子に。幸い、龍次は混じっていなかった。少しだけ救われた気分。
「樹、奴らをそんな憐れむような目で見てやるな。ブルマってのは、男のロマンなんだぞ?」
「女子に偏見持たれそうなロマンを抱くな」
あと肩を組んでくるな。同類と思われる。
「しかし、何故ブルマは絶滅したんだろう。あれほど動きやすく、健康的で、きわどくエロい服はなかなかないと思うんだけど」
「主に後半部分が理由だと思うが」
そういう目で見る奴がいるから絶滅したんだろうと適当に推測。正直な話、どうでもいい。
しかしそんな俺の心境はよそに、龍次の言葉は続く。
「でも体育なんだから、そこを補って余りあるあの動きやすさは重要だろ?」
「知るか。つーか動きやすさだけ追究するなら、男子はパンツ一枚になるぞ」
「上等!!」
「露出癖か!?」
「我が肉体美に恥じる点など一切なし! ってかその理論でいくと女子はもっとエロいからなお良しッ!!」
バコンッ
「ブニュッ」
「せっかく良くなった印象を悪くするような事ばっかり発言するな!!」
龍次の顔面にバスケットボールを叩きつけ、女子に聞かれる前に物理的に口を塞いでやった。
「んー、じゃあ悪くなる前に応援でもするか」
「……ああ、そうだな。ところでお前、どこから喋ってるんだ?」
顔面にボールがめり込んだままで、何故そんな明瞭な声が出せるんだろう。腹話術?
「女子頑張れー! 女の子頑張れー! 女性頑張れー!」
「誰を応援したいんだよ。適当すぎて逆にそんな応援はいらん」
結局は全員に頑張ってほしいと。日和見にもほどがある。
あと俺の質問は無視?
「まったく、また樹は否定ばかりか。もっと能動的に行動しろ。具体的にはお前が応援しろ」
「それもそうだけど……」
誰を応援しようか。とりあえずC組の女子は揚羽以外ほぼ知らないし。かといってウチのクラスの女子も仲のいい奴はまだ少ないし、今出ていない。
んー、となると、
「……がっ、頑張れよ揚羽!」
うわっ、な、名指しって結構恥ずかしいな。特に何か悪い事をしたわけじゃないのに、どんどん顔が熱くなってる。
そんな俺の心境はさておき、ジャンプボール待ちの揚羽はこちらを向き、ピースを作ると、
「はいっ!!」
満面の笑みで言った。
……う、うわーっ。めちゃくちゃ恥ずかしい。顔熱っ! 熱っ!!
「グフッ!?」
俺の隣りで龍次が膝をついた。
「な、なんて破壊力。さすがは学年一位のかわい子ちゃん、というわけか……!」
何故か口元を拭っているリアクションは無視、今時『かわい子ちゃん』という単語がどうかということも流し、俺は恍惚の表情で倒れる男どもを眺めた。野郎共は今にも昇天できそうな顔で、将棋倒しよろしく折り重なるように倒れている。死体が山積みになっているような光景だ。
すごいな揚羽の笑顔。龍次じゃないが、どんだけ破壊力あるんだよ。
とりあえず考えなしの行動で色々と視線が辛くなった上に恥ずかしいので、俺は女子のコートから退避することにした。
男子側コートでは、女子側コートへ行かなかった二〇名の内の一〇人くらいが五対五のゲームを行っていた。残りは雑談組っぽい。出遅れた。チッ、あんなアホ共に突っ込んでる場合じゃなかったな。
どうするべきか。人数がちょうどの上にまだ名前も覚えていない奴が多いから、正直入るのは躊躇われる。龍次だったら何の躊躇もなく突っ込んでいきそうな気がするが、俺にはあいつほどの度胸という名の特攻精神はない。
さて、どうしようか。
「なんだい樹くん。チミはパスする相手もいないのかね?」
「うるさい。お前、いい加減キャラを固定しろ」
しかも基本的に上から目線なキャラが多い事が更に神経を逆撫でてくる。こいつは本当に何がしたいのか。
そんな龍次は肩をすくめた後、指でボールを回そうとして失敗し、何事もなかったかのようにボールを拾い上げながらとあるゴール下を指差した。
「まぁ俺のキャラはともかく、やる事ないんだったらあそこのゴールでシュート練習でもしようぜ」
「それはそうとして、今の行動は一体何?」
なんかものすごくカッコ悪かったけど。
「樹、俺はバスケ部員じゃないんだ。失敗したっていいじゃない、人間だもの」
「まぁそうだけど」
しかし何故今それをやる。練習だったにしても、諦めるのが早すぎるし。
疑問を抱きつつも結局のところどうでもよかったのでその話は終了、俺達はゴールへ向かった。
誰もいない、と思っていたが、そのゴールで一人の小柄な奴がシュート練習をしていた。
ある程度離れた距離からドリブル。左右のフェイクが多い。しかも一つ一つ視線や体の向きがあっている為、フェイントか本当か判別がしづらそう。やがてゴールが近くなり、小柄な奴はかなり低い体勢からすくい上がるように一気にジャンプ。高っ。
パサッ
高い軌道で放られたボールが、見事ゴールリングに収まる。
「おお、ナイスシュート」
「一瞬ディフェンスが見えた気がする」
思わず拍手する俺達に、そいつが気付いた。
「照れるからあんまり拍手するな〜」
緊張感の欠片も感じさせない間延びした声で、返事してくる。
体育でC組と一緒にやって一ヵ月。今まで体力テスト的なものが多かったため、顔を覚えていない奴が多い。こいつもその中の一人だ。
えらく小さくて一五〇センチ前後。悪いが、高校生には見えない体格だな。名前は体操服に書いてあるからわかった。亀田というらしい。
「フルネームで亀田工(かめだ たくみ)だぞ〜」
「な、何も言ってないはずだけど」
「視線が名札にきてるからな〜。二人とも〜」
む、マジか。
「で〜、おまえらは〜、鮫島と沢木だな〜」
「ああ。やっぱり知ってた?」
「有名だからな〜。春休みのケンカとか〜、この前の暴力事件解決とか〜」
「フー、人気者は辛いゼ」
「人気じゃない。あまりよくない意味で有名なだけだ」
意味もなく格好つけて前髪を掻き上げる龍次。
「にしても、亀田はバスケ上手いな。バスケ部だったりするのか?」
「そうだぞ〜。ま〜まだ一年だし補欠だけどな〜」
あれで補欠なのか。さすがメジャーな競技、計り知れん。
「バスケ部か。じゃあnew friend 亀田、俺のお願いを聞いてくれるか?」
「なんだ〜?」
「あのボールを指で回すヤツを教えてくれ」
「よっしゃ〜」
事もなさげに指先でボールを回す亀田の手を、龍次が食い入るように見つめていた。
……覚えたかったんだな、やっぱり。