〈七〉ある雨の日の休日

 

 

 

 

 

五月も終わりかけの梅雨の時期。

梅雨らしく、日曜日の今日も雨だ。かれこれ三日は続いてるだろうか。雨だと外出する気が失せるのであまり嬉しくない。

しかし、外出する気はなかったにもかかわらず、俺は近所にある駅前のデパートに来ていた。品揃えがちょっと異常なまでによく、かつ遊ぶのにも食事をするにもいい場所だ。ここにあるものだけで一日が簡単に潰せる。

そんな場所にいる理由は、買い物。悪く言いかえればパシリだ。

……うん、わざわざ悪く言う意味はなかったな。何故俺はそんな残念な気持ちになるような事をしたんだろう。意味もなく下がったテンションで、俺は買い物リストを眺めた。

えー、トイレットペーパーにお風呂用洗剤、紳士用傘(黒)、地域指定のゴミ袋、みりん、単三電池、ネギ。そして鉄下駄。

ジャンルがバラバラ。しかも最後になんかあきらかに毛色の違うのがあるし。鉄下駄って。修行という名のもとに色々やらされてきたが、ついに鉄下駄も追加されるのか……。むしろ、今までよくやらされなかったと、プラス思考に考えておこう。うん。

さて、何から買うかな。とりあえず鉄下駄は後回しにするか。

…………そもそも置いてるのか?

 

 

***

 

 

「……ちょっと待て。何故俺はこんなに疲れてるんだ」

ある程度の買い物を済ませ、俺は休憩所のベンチで呟いた。

いや、自分で言っといて何だが、理由はわかっている。一番始めに見つかったコイツのせいだ。

紙袋に入れられた品物、鉄下駄。まさか買い物を始めて五秒でこれが見つかるとは、本当に焦った。しばらく我を忘れて固まっていたくらいだ。

本当に理解出来ない、このデパート。まず鉄下駄が普通に置いてある事もおかしいけど、『強く逞しい肉体へ、修行フェア開催!』とかいう需要が皆無そうなコーナーがあった事がもはや許容範囲を超えている。なんか大リーグボール養成ギプスみたいなのもあったし、サンドバッグの隣りには同サイズの冷凍牛肉が吊るしてあったし。ロッキーか。

はっきり言ってそこに行きたくはなかったが、鉄下駄を買わない事には買い物は終了しないし、何よりこんなツッコミどころ満載の場所にもう一度戻ってくる気力があるとは思えなかったので、そこで鉄下駄を買ったわけだが……。

重いよ、これ。片方二キロで計四キロ。それをずっと持ち歩いているんだから、そりゃあ疲労も溜まるわ。チッ、これを持って家まで帰る事を考えるとまた面倒くさい。なんかどんどんやる気なくなっていくなぁ。

……と、そんな風にうなだれていると、何やら見覚えのある女の子が。若干距離があって見にくいな。一.五の視力を持つ目を細めて、その女の子を良く見てみる。あれは…………春菜、かな?

俺の人間の顔を覚える能力は少し頼りないから確信が持てないが、おそらく春菜だろう。

まだ向こうは気付いてないらしく、右手に物の詰まった袋を提げて通路側にある商品を眺めながらこっちへ歩いてくる。うん、さすがにこれだけ距離が近ければ間違いない。春菜だ。 

「おーい。春菜」

それなりに距離が近づいた所で、俺は春菜に呼びかけた。

いきなり名前を呼ばれて驚いたのか、春菜はその場で飛び上がり、慌てて辺りを見回した。んー……そっちに俺はいないんですけど。

「春菜、こっちだ」

もう一度呼びかけると、ようやく春菜は俺に気付いた。まさに「そそくさ」という言葉が似合うような動作でこっちにやってくる。

「こ、こんにちは、樹君」

慌てていた所を見られたせいか、心なしか顔を赤くして春菜が挨拶。

そんなに恥ずかしい姿だっただろうか、あれ。あれぐらいなら俺だってしょっちゅうやってるような気がするけど。

「おっす。春菜も買い物か? 奇遇だな」

「そうですね。……わ、私も樹君に、その、会えるなんて思ってませんでした」

「だろうな。予知能力者でもあるまいし」

しかし春菜がここにいるという事は、意外と家が近かったりするんだろうか。まぁこのデパートってこの周辺で一番でかいし品揃えいいし便利だし、買い物って言ったら自然とここに集まるんだろうけど。

「……えっと、樹君はもう買い物終わったんですか?」

俺が座るベンチの端に腰を降ろし、春菜がそう聞いてきた。

「いや、まだ食料品の買い物が済んでない。母さんに頼まれてるんだが、やっぱり食べ物は最後にしようと思ってたから」

食材をあまり持ち歩くわけにもいかないしな。まぁ、ネギぐらいなもんだけど。みりんは別に痛まないし。

「春菜は? 荷物を見る限り、もう終わってそうに見えるけど」

「いえ、私もまだ食べ物を買ってないです」

ふーん。

「じゃ、行くとするか」

「え? ど、どこにですか?」

きょとんとした顔で春菜はそんなことを言った。

「そりゃあ当然、食料品売り場だけど。春菜も用があるんだろ? だったら一緒に行けばいいと思ったんだが」

なんせここで別れて、また売り場で会ったりしたらなんとなく気まずいし、声も掛けにくい。なら始めから一緒に行けばいい話。

「ん、もしかして嫌だったか?」

「そっ、そんなこと、ないです」

「そうか。ならさっさと行くぞ。ないとは思うけど、売り切れてたら嫌だし」

くそ重い鉄下駄の入った荷物を持って、俺達は食料品売り場へと足を向けた。

 

 

***

 

 

「あ、そのメーカーはダメです。量は多いですけど、同じ量で比較すれば値段は他のものより高いですから」

「ふーん。みりんなんてどれも同じに見えるんだけどな」

「少し製法が違うそうですよ。でも、私はあまり変わらないと思いました」

「なるほど。たいして変わらないっていうんなら、安い方がいいよな」

それを聞いて、俺は春菜に勧めてもらったみりんを買い物かごに入れた。

それにしても春菜は食材のことをよく知ってるな。買い物慣れしてるというか、買い物上手というか。さっきのネギを選ぶにしても、無駄にたくさん置いてあるネギの中から一番いいものを選んでくれた。

「春菜。マヨネーズならこっちにもあるぞ」

「いえ、それは辛すぎるんです。私の家だと、誰も食べれなくて」

やんわりとそう言われたので、俺は手にとったマヨネーズを元の棚に戻した。

むぅ。まったく、なんか俺、さっきから猛烈に役立たずだな。荷物持ちぐらいにしか役に立ってない。食料の買い物なんて俺は滅多にしないからなぁ。

「そういえば春菜、料理とかするのか? 食べ物の買い物に詳しいみたいだけど」

「一応、できます。休日はお昼御飯を作ったりしますし」

「へえ。なんか春菜、主婦みたいだな。将来いい奥さんになりそうだ」

「そっ……そ、そんなこと、ないです、よ……」

何故か顔を真っ赤にして俯く春菜。こんな反応されるってことは、『いい奥さん』というのはあまり良い褒め言葉じゃないんだろうか。

「……ん?」

そんなことを思案していると、なんだかまた見覚えのある女の子を発見した。向こうもこっちに気づいたらしく、こっちに向かって走ってくる。

「こんにちは、鮫島くん!」

「よう揚羽。学校以外で会うのは初めてだな」

何故か俺の前で笑顔で敬礼している揚羽に、俺はそんな言葉を返した。や、学校以外で初めて会うのは春菜も同じことだけど。

「そうですねー。あ、そっちにいるのは猫乃さんじゃないですか。こんにちわ!」

「……こんにちは」

揚羽が春菜に気付いて挨拶を交わしあう。つーか、

「お前ら知り合いだっけ?」

「えっと、体育で」

「何とですね。この前の授業で、いっしょに柔軟体操をした仲なんです!」

さも重大なことを語るような揚羽だが、実際はたいしたことを言ってなかった。仲っていうほどのものにはどう考えても思えない。まぁ二人が顔見知りだということはわかったけど。

「二人とも、買い物ですか?」

「あ、はい。たまたま樹君と会って」

「で、一緒に買い物してるというわけだ。春菜は買い物上手だから、正直かなり助かってる」

俺だけだったら色々残念なことになっていたに違いない。我ながら情けない話だが。

「そうです……か?」

「何故疑問文?」

「いえ、ちょっと」

何故か一瞬ムッとした表情をした後、揚羽は眉根を寄せて首を捻った。さらによくわからないことに、そのまま腕を組んで何事かを考えている。何か疑問が浮上したような行動だが、今のやり取りの一体どこに疑問が出るようなところがあったんだろうか。

「揚羽、どうした?」

「うーん……鮫島くん」

「何」

「樹くん」

「え? あ、何」

突然呼び方が変わったからびっくりした。

揚羽は顎に手をやって数秒黙ると、

「樹くん。樹くん? 樹くん! いーつーきーくーんー」

「だから、何だ?」

「よしっ、オッケーです!!」

「いや全然意味がわからないんだけど」

何だかよくわからないが、どうやら揚羽の中で何かが解決されたらしく、揚羽はすっきりした顔で親指を立てていた。

なんだったんだ、一体。嫌に人の名前を連呼したと思ったら、妙に清々しい顔して。

「そういえば樹くんと猫乃さんの買いたいものって、まだあるんですか?」

俺の疑問は無視か、おい。

あとさっき決定したのか、俺の呼び方が『鮫島くん』から『樹くん』に変わったのは何故? まぁ呼び方なんて、よっぽど変なものじゃない限りいいけど。

「いや、俺のはあと会計を済ませたら終わりだけど」

「私もそうです」

俺達の返答に、何故か揚羽はニッコリと微笑んだ。いつも天然で読めない揚羽だが、今日はいつにも増してだな。

「それなら、この後樹くんちに遊びに行ってもいいですか?」

……どうしてそういう結論に至ったんだろうか。

 

 

 

 

 

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