〈六〉桐野高校大体育祭〜第十一競技 借り物競走(後)〜

 

 

 

 

 

『桐野高校空手部の看板』を借りるべく蛍先輩から許可を貰った俺は、看板の置いてある柔道場へ向かって走っていた。

走り出してから気付いた事だが、

「くそっ、何気に運動場から遠いぞ」

という事だ。

この学校は、校舎を挟んでグランドと体育館があり、柔道場は体育館一階の一番奥に位置している。つまる所、グランドから一番遠い場所に体育館があるのだ。直線距離でも一〇〇メートルはある上、建物の中だからまっすぐ向かう事も出来ない。

それに、向こうの状態がわからないのも嫌な感じだな。いつ他の選手(特に白組)が課題をクリアするかわからないから、かなり焦る。

まぁ、出てくる前の様子を見る限り、その可能性は低そうだけど。みんな無茶な課題を出されていたようだったし。

とりあえず亀田とタカは不可能だろう。教頭がヅラを渡すわけがないし、タカの課題はなおの事。むしろタカの場合は課題をこなすどころか死ぬ可能性すらあるわけだし(注 誇張表現です)

ちなみに不可能という話なら龍次のがまさにそれだけどな。ツチノコって。

「お」

そんな事に思考を費やしながら走っていると、ようやく柔道場を発見。空手部の看板は――

「………………予想以上」

すぐに見つかったものの、俺は看板を見てげんなりと肩を落とした。

推定二メートル。「桐野高等学校空手道部」と力強い字ででかでかと書かれた分厚くでかいその看板は、見るからに重そうだった。

迫力はあるが、はっきり言って今の状況ではちっとも嬉しくない。なんせこれを今から一〇〇メートル以上離れた運動場に持っていかなければならないのだ。その疲労度を想像するだけでなんかしんどい。

「あー、アレだ。先月持って帰らされた米俵よりはマシなはず」

そんな事を呟いて、できるだけプラス方向で考えてみる。

思い返すと、あの米俵は重かった。六〇キロあるわけだし、担いで持って帰らなければならなかった所がきつかった。体力的にも精神的にも。買い物帰りの主婦には変な目で見られるし、下校中の小学生達には爆笑されるし。何より持って帰った直後、米俵を担ぐ姿を新たな修行を望んでいる姿勢だと勘違いした親父と爺さんがウザかったな。確かに龍次の言う通り美味かったが、それだけでは納得できないくらいの疲労度だった。

…………駄目だ、プラス思考にしようとしていたはずなのに、いつの間にかものすごくブルーな気持ちになっている。もうこの辺りで考えるのをやめよう。さっさと持って行って、解放されるのが一番いい気がする。

「よっと………………重っ」

背負うように看板を後ろに持って、思わずそんな言葉がこぼれた。

予想通り米俵よりは軽かったが、だからと言ってこの看板が重くないわけじゃない。あくまでマシというだけ。少なくとも一〇キロくらいはありそうだ。

俺よりもでかい看板を周りにぶつけないように注意しながら、バランスを崩さない程度に早歩きでグランドに向かう。

少し歩いて、ようやく体育館から出た時、

「見つけたぁ!!」

「該当者発見!!」

前方から声が二人分聞こえた。そっちに視線を向けると、黒組の男子が一名、白組の男子が一名。顔も名前も知らない、たぶん初対面の一年。

該当者発見とか言ってるという事は、どちらも借り物競走出場者か?

つーか見つけたって………………周りに俺以外誰もいないということは、俺が課題の該当者なのか? 辺りを見回して首を捻っている俺に二人が近づいてくる。まっすぐこっちに来る辺り、やはり俺が該当者で間違いなさそうだ。

「えーと、一応聞くけど、一年D組の借り物競走の選手だよな?」

白組の選手が名札を見ながら尋ねる。

「そうだけど」

「そんで、一年D組の鮫島樹だよな?」

黒組の選手が俺の顔をじろじろと見ながら尋ねる。

「そうだけど」

同じように答えると、二人は顔を見合わせ、同時に頷いた。何だその敵同士だというのに息の合いようは。

「すまん、鮫島」

そんな事を考えていると、何処から調達してきたのやら、白組の奴がデッキブラシを構えた。同時に黒組の奴が、これまた何処から持ってきたのか、ガムテープをベリベリと伸ばし始める。

え、ちょ、何この展開?

「ちょっと待て。お前ら一体、俺に何をするつもりだ?」

にじり寄ってくる二人と距離を取りながら質問。見るからに不穏な雰囲気だが、この無駄にでかい看板を持ったまま二人に応戦できるとは思えない。

俺の質問に、二人はポケットからそれぞれ課題の書いてあるメモを取り出し、刮目せよと言わんばかりに俺に向かって突き出した。

そこに書いてあったのは、白黒の順にこうだった。

 

『借り物競走出場選手の借りる物(一年D組の茶髪の選手に限る)』

 

『借り物競走出場選手の髪一〇〇〇本(一年D組鮫島樹限定)』

 

「何故そんなにピンポイントで俺狙いなのばっかりなんだよ!?」

何だよ一年D組の茶髪の選手って! 鮫島樹限定って! 最終的にはもはや名指しじゃねえか!!

俺、そんなに会長に狙われるような事したか? したのなら、無理とはわかりつつもそんな過去の俺を今すぐ消し去りたい。

瞬間的に全力で叫んでいた俺に、もう言うべき事は言ったという様子で二人が襲いかかってくる。

くそっ、デッキブラシの一撃はともかく、ガムテープで髪の毛むしられたりしたらえらい事になってしまう。いやどっちも食らいたくないけど。

「そいつをよこせ、鮫島ぁ!!」

「髪さえ置いていけばいいからさあ早く!!」

「嫌に決まってんだろうが! つーか髪一〇〇〇本とか借り物でもなんでもねえよ!!」

敵のみならず味方にまで追い掛けられ、俺は看板を担いで全力で走った。

 

 

***

 

 

「はぁっ、はぁっ…………や、やってしまった」

看板を地面に下ろし、俺は肩で息をしながら呟いた。

あの後、くそ重い看板を背負いながらもなんとかグランドまで逃げてきたが、無駄に発揮されるデッキブラシとガムテープのコンビネーションに危うく看板を奪われそうになったり髪の毛をむしり取られそうになり、やむを得ずこの重量級な看板を以て応戦した。

重さとリーチがあるだけに、この看板の威力は絶大だった。一度振るえばデッキブラシごと相手を折り、二度振るえばガムテープを引きちぎって敵を吹っ飛ばした。

で、うっかりそんな事をやってしまった事を思い出したのが今さっき。

だー…………。暴力的手段に訴えるつもりはなかったんだが、逃れきれない身の危険に、つい手が出てしまった。

つーか思い返してみると、あの二人のデッキブラシとガムテープの扱いは尋常じゃなかったな。途中から、お前ら一体何処のバトル漫画から出てきたんだと突っ込みたくなるような技っぽいのもあったし。特にあのガムテープのトラップには、かなり手こずらされた。アレで髪の毛の数十本は失ったと思う。

それを乗り越えてまでこの看板を死守する意味があったのかは少しばかり疑問だが、まぁ相手に得点をやるわけにはいかないし、髪の毛だってこの年でそこまで失いたくない。犠牲(男子生徒二名)はあったが、何か大切な物は守れた気がするからよしとしよう。

そこまで思考してようやく心の整理がついたので、俺はグランドの状況を確認すべく、そっちに視線をやった。

……………………。

……………………。

「………………えっと、カオス?」

つい口からそんな単語が漏れる。

なんせグランドが穴まみれだったり、大玉に轢かれた人がいたり、上半身裸の男が地面に半分埋まっていたり、爽やかに汗をぬぐう蛍先輩の脇でボロ雑巾のようになって転がるタカの姿があったりするんだから。

いやもう本当に……会長は一体、何を課題にしたんだろう。何をどうしたらこんな風に高校の体育祭で意味不明な空間が出来上がるんだろうか。凡人の俺には理解不能だ。理解したくもないけど。

「おう、樹。どうやらお前は課題の借り物を手に入れたようだな」

あまりの状況に呆然とする俺に、ツチノコ探しの旅から戻ってきたらしい龍次が話しかけてきた。ちなみに何故か真新しい白衣をはおり、今や見ることも少ない丸メガネをかけている。

「ガムテープで多少べたべたになってるが、一応な。ところでお前のその格好はなんだ?」

その格好=白衣&丸メガネ。

「いやな。さすがの俺でもこの僅かな期間でツチノコを発見する事はできなかったんだ」

「まぁ、そうだろうな」

出来たらお前、地方新聞どころかテレビだぞ。

「しかし現状、競技を放棄して白組との差を広げるわけにもいかない。そこで俺は、こう考えた」

龍次がメガネをくいっと上げる。何故かメガネが光った。

「なければ造る!」

「なんて発想の転換だよ」

それで科学者っぽい白衣とメガネというわけか。本当に馬鹿だなお前は。

「ツチノコを作るのは初めてだが、奇跡を起こせばどうにかなるはずだ」

「運頼みかよ」

「あと最近はメガネ男子もモテポイントだからな。メガネのポテンシャル、甘く見ちゃいけないぜ?」

「ああ、それ聞いたことあるぞ。最終的にはメガネが本体で、本人は付属品みたいな扱いになるんだよな」

「フッ。メガネで陰るほど、俺の個性は弱くない」

「それは知ってるけど」

むしろメガネという個性が速攻で消えそうだが。

つーかまだ俺、自分の課題クリアしてないんだった。こんなアホの話を聞いてる場合じゃない。

龍次の無駄話に数分費やしてようやくその事に気付いた俺は、「新たな生命を創造し、俺は新世界の神となる!」とか何とか言っている龍次を残して、審査員席の方へと走った。

 

 

***

 

 

なかば看板を引きずるような疲労した状態で、ようやく審査員席に辿りついた。そこにいたのは、

「なっ、揚羽!?」

審査員席に座る相変わらず『全部』という名札をつけた麻人先輩と、一位と刺繍してある旗を持った揚羽だった。

ちなみに見る限り、二位以降はまだいないようだ。

「あ、樹くん。お疲れさまですー」

「おう、お疲れ――じゃない! なんだって揚羽はもうゴールしてるんだ!?」

ノリツッコミのごとく、俺は叫ぶ。

いやだって、あれだけ滅茶苦茶な課題を揚羽が一位通過したという事が驚きでしょうがない。

しかし、そんな俺の心境とは裏腹に、揚羽は小首を傾げるだけだった。

「え? だって、かんたんな借り物でしたよ?」

「か、簡単?」

あのすさまじく意味不明な課題群が簡単って、まさか、揚羽に秘めたるポテンシャルが!?

「こんなのです」

困惑する俺に揚羽が差し出したメモには、こう書いてあった。

 

『麦茶(冷えたものに限る)』

 

「喉渇いてたんですか会長は!?」

他のに比べて簡単すぎだろ! つーかまたしても借り物じゃないし!

「今日持ってきたのが麦茶で、ちょうどよかったです」

「この競技唯一と言ってもいいようなラッキーカードだったんだけどね。この子、相当運がいいみたいだよ」

「マジですか……」

俺なんか名指しで狙われたりしたっていうのに……。

一位を取れたせいか、心持ちいつもより上機嫌な揚羽を眺めながら、俺はげんなりとため息をついた。

 

 

 

 

 

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