〈一〉夏休み一週間前

 

 

 

 

 

キーンコーンカーンコーン――

 

テスト終了を告げるチャイムが鳴り、教室内の空気が一気に弛緩した。

「はーい。それじゃあみんな、エンピツを置いて後ろから解答用紙を回してちょーだい!」

「先生、俺はシャーペン使ってるんでまだやっててもいいですか!?」

「悪あがきは男の子としてみっともないと思うよー?」

後ろから「ぐっ……」と悔しさ滲み出る声が聞こえると同時に、国語の解答用紙が俺の元に渡された。ちらりと見た龍次の解答用紙は…………なるほど、悪あがきの一つもしたくなるかもしれない。

全員の解答が教壇の横に立つ担任の吉兔(よしと)先生の元に集まり、先生はそのまま解答を教壇の上に置いた。

国語担当でウチのクラスの担任の吉兔先生は、身長一四〇センチで童顔、そして年齢不詳の女性だ。正直初めて会った時は教師だなんて思わなかった。つーか何故高校に小学生がいるんだろうと疑問に思った。

確か龍次は「合法ロリ…………まさかこの目で拝むことになるとはな」とか言ってたけど。

「みんなテストおつかれー。やっとテストから解放されたぜヒャッハーな気分だと思うけど、まだ連絡事項とかがあるからちょろっと待ってね?」

あと教師としてこの話し方はどうかと俺は思う。これでよく教員試験に合格したもんだ。

「まぁ連絡っていうか説明なんだけど。はいみんなちゅーもく!」

そう言って吉兎先生が黒板をばしばし叩き、みんなの注目を集める。

「夏休みに入って少ししたら、ていうかぶっちゃけ二週間後に林間学校があるんだけど、今日はそれのしおり配ったり班決めたりしまーす。委員長よろしく!」

今までどこにあったのやら、我がクラスの学級委員長の机に吉兎先生は大量の書類をぼんと置いた。たぶんあれがしおりなんだろう。

真面目な委員長が特に文句も言わずしおりを配り終え、席に着く。なんとなくそれを見届けてから、俺は手元に回ってきた林間学校のしおりに視線を落とした。

まず目に飛び込んできたのは、

 

『激闘サバイバル林間学校〜生きたくば強くあれ〜心得ノ書』

 

毛筆の逞しい筆跡で書かれたこの文字。

突っ込みどころ満載だったが、なんとか俺は堪えた。俺の予想が正しければ、これはまだはじまりにすぎない。俺は呼吸を整え、妙に素材の良い紙で作られたしおりの一ページ目をめくる。

 

『一学期も終わり、これより約四〇日に亘る夏季休暇が始まろうとしている。しかしこの長期休暇にかまけて怠けるなど言語道断、限りある時を無駄にする愚か者だ。「男子、三日会わざれば、剋目して相見えるべし」。三日で人が変わるのならば、ひと月あれば人は修羅にでもなれる。その精進の導として、我が校では夏休み第一週目の終わりに一年と二年の合同林間訓練が存在する』

 

しおりを掴む手に力が入りすぎて変なしわが入った。堪えろ俺。

 

『この林間訓練を通し、一年は先を行く者に追いすがる貪欲さを、二年は後ろに迫る者を突き放す非情さを身に刻み、後の休暇に生かすがいい。弱肉強食はこの世の理、世界を動かす資格を持つのは、力ある者なのだ』

 

「さすが会長、素晴らしい訓示だ」

 

バシィッ

 

「ヌツォッ」

後ろの馬鹿が戯言をほざいた所で許容量を突破し、俺はしおりを全力で龍次の顔面に叩きつけた。

「洗脳! それ洗脳だから龍次、そろそろ目を覚ませ!」

「でも資本主義って生存競争だろ? あながち間違ってもないと思うけど」

「ところどころ物騒な言葉が混じってるだろうが。学校教育でここまで恐ろしい資本主義を身につけてたまるか」

修羅とか貪欲さとか非情さとか。林間学校ってもっと楽しいもののはずだ。会長は一体何を考えているんだか。

…………いや確かに会長は林間学校じゃなくて、林間『訓練』と銘打っているけども。

「ちなみにそこ以外の内容は普通だからー、鮫島くんはもう突っ込まなくていいと思うよ?」

「いや先生。別に俺、ボケ待ちとかしていませんからね?」

龍次からしおりを回収し、続きを読んでみる。

二泊三日。会長が冒頭でも言っていた通り、一年の全クラスと自主参加の二年の二クラスが参加するらしい。

一日目はバスで宿舎近くまで移動ののち、山の中にある宿舎までハイキング。

二日目はいくつかの班に分かれて自然散策や体験学習。昼食はバーベキュー。

三日目は二日目にできなかった事をやった班と交代して行い、学校に到着で帰宅。

……表紙からの訓示とはえらく差がある出来だな、おい。

この辺りはきっと麻人先輩が作ったんだろう。パソコンか何かで作った表にしてあって、時間帯とか非常に見やすかった。

ただ、麻人先輩が作ったわりには細かい内容が書いてないことが意外。辻斬り事件の資料を思い返せば尋常じゃない情報量だったし、もっと懇切丁寧に記載されていると思ったんだけど。

まぁ、そこはもしかしたら「行ってからのお楽しみ」みたいな感じなのかもしれない。

「林間かぁ。樹、この行き先知ってるか? 俺は知らん」

「いや何故俺に聞くんだよ」

「そりゃあお前、樹って中学の時、半年に一回くらい山に出かけてただろ?」

「……出掛けてたんじゃない。あれは山籠りだ」

修行イコール山籠り。昔の漫画じゃ王道だが、実際にそんな事をした人物はそうそういないとは思う。

が、ウチの親父はその辺の影響を馬鹿正直に受けているらしく、「大自然でより健全で強靭な肉体を作る」という一見もっともらしい教育方針の元、俺は何度か人里離れた山奥に連れて行かれた。

最悪だったのは中三の春。富士の樹海に三日ほど放置された時は、本気で死ぬんじゃないかと思ったな。

おかげで実践のみのサバイバル知識は身に付いたものの、それが結局武道の稽古になったのかと聞かれると、否としか答えようがない。親父もそれに気付いたのでここ最近は行われてないけど。

「基本的によくわからない内に連れていかれて、そこがどこだか把握する前に帰ってきたから山の名前なんて知らないし」

「そもそも、林間学校に行く山ってそんなに有名どころではないと思いますけど」

龍次のななめ後ろの席に座る春菜のそんな発言に、龍次は「そんなもんか」と納得の声。

有名かどうかはともかく、会長が絡んでいるとはいえその辺りは学校行事だ。近隣地方のそれなりの山に行くんだろう。

「そろそろしおりを読んじゃったと思うから、班決めに移りたいと思いまーす。それじゃあみんな、男の子は男の子同士で、女の子は女の子同士で五人のグループ組んじゃってちょーだい」

「先生、俺は女の子と組みたいです! ベストは俺一人と女子四人!」

「部屋割も兼ねてるのでむり!」

「え、なおさら問題なくね?」

 

ドスッ

 

「ゴボエッ」

振り向きざまに喉へ放った地獄突きで、龍次は発声能力を失うと同時に机に突っ伏す形で崩れ落ちる。俺は何事もなかったかのように前へ向き直った。

「先生。教室内唯一の反対勢力が負けを認めて賛成してくれたみたいです」

「あからさまに実力行使すぎるけどめんどーがなくなったのでオッケー! それじゃああらためて、グループ作っちゃってねー」

先生の言葉と同時に、クラスメイト達が椅子から立ち上がった。

 

 

***

 

 

グループは特にこれといった問題もなく決まった。 ウチのクラスは男女二〇人ずつなのでぴったり八グループが出来上がる。

が、グループがある以上、どうしても避けられない事がある。そう、班長決めだ。

「おれはめんどいから嫌だ」

メンバーその一、熊本。サッカー部のせいかものすごく色黒。本当に嫌そうだった。

「俺もめんどいからパス」

メンバーその二、猿渡。帰宅部なのに坊主。顔の前で手を横に振るジェスチャー付き。

「ぼくも出来ればやりたくない」

メンバーその三、才。目がとても細くて、部活はそういえば知らん。顔を龍次の方へ向ける。

「当然俺がやる!」

メンバーその四、龍次。もはや説明不要の変人。とても元気よく挙手。

と、こんな感じが俺の班の面子だった。

つーか、

「いつの間にかあっさり決まった!?」

「え、何言ってんの鮫島」

「やりたかったんなら言えばいいのに」

「いや別にやりたいわけじゃないんだが、何というか、あまりにもあっさりしてたもんで」

みんなやりたくない的な意味でなかなか決まらないと思ってたんだが、杞憂だったらしい。よく考えたら、龍次がいれば当然そうなるな。

「言いたい事はわかるぜ樹。真のリーダーってのは自分から言うもんじゃない。自然とそうあるべきなんだ。だから俺がこうやって立候補したのが意外だったんだろ?」

「誰もそんな事言ってないし思ってもない」

こんな林間の部屋割の班長決めごときでそこまで考えてたまるか。

「何はともあれ俺がこのグループのリーダーになったからには、その権力を存分に活用させてもらう。具体的には女子部屋行く時お前ら囮な」

「ふざけんな沢木ずりーぞ!」

「リーダー! 俺デジカメ持って行くんで撮影係として同伴していいッスか!?」

「いいだろう。猿渡は撮影係決定」

「なっ、ちょ、じゃあおれ荷物持ちでいいから頼む!」

例によって何キャラかよくわからない龍次に乗ってテンションが上がる熊本と猿渡。龍次ほどじゃなくとも、こいつらも相当アホのようだ。しかもタカと同じタイプの。

グループを組んでおいてなんだか、早くもアホばかりで先行きが不安になってくる。一応そんな事はないはずだけど、これで残りの一人までこいつらの影響を受けてしまったら、このグループでの突っ込みは俺一人。それだけは避けたい。

「鮫島。ぼくら囮だって」

「聞く耳持つな、才。お前は最後の砦なんだから」

「砦?」

よくわかっていない感じで首を傾げた最後の希望に、俺はほっと息をつく。どうやら大丈夫そうだ。

つーかなんだって俺は林間でまでボケの飽和の心配をしているんだろう。末期か。

 

 

 

 

 

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