〈三〉サバイバル林間学校〜一日目一〇時 現地到着〜
「みんなー、目的地についたよー。寝てる人は起こしてちゃちゃっと外に出る出る!」
バスの前の方から、吉兎先生のはしゃいだ声が聞こえた。
先生の言う通り、いつの間にかバスは止まっていて、周りのクラスメイト達が次々と下車し始めている。
「到着ですよ! 早く降りましょう、樹くん」
「……すまん、揚羽。先に行っててくれ。俺はちょっと体調が悪い」
俯き気味にそう言うと、春菜が気遣わしげに俺の表情を覗き込んできた。
「やっぱり、途中から気分が悪かったんですね」
「…………ああ。でもちょっと休んだら、すぐ行く。だから先に行っててくれ」
「む、そういうことなら、先に行ってますねー」
「そうですね……。あの、無理はしないで下さいね?」
「大丈夫だ。ほら、先生が急かしてるぞ」
心配そうな表情をする春菜の背中を押してやると、ようやくバスの乗降口の方へ向かい出した。
それを見届けてから、俺は盛大にため息をついた。
心配してくれる優しさは身に染みるが、同時に俺の精神的なダメージの元凶の一つでもあると思うとなんだか受け入れにくい。
「これこれ鮫島くん。ついたから出る出るーって先生さっきから言ってるじゃん。たそがれてる場合じゃないよー」
バス内に残っている生徒が俺を除いて降りきった頃、まだ席に残っていた俺の方へ吉兎先生がやってくる。
「すみません、なんか気分悪かったんで」
「え、美少女両手にはべらかしといて?」
「……先生まで何言ってるんですか。つーか何気にこの疲労の三分の一くらいはその二人のせいなんですけど」
正確には、「二人のせい」というか「二人の遊びのチョイスのせい」だけど。
野郎どもの殺気と嫉妬にまみれた視線に四方八方から晒され続けるという苦痛から少しでも逃れるために、俺はできるだけ揚羽たちと話した。
その甲斐あってか、もしくは周りの奴らも飽きたのか。一時間もすると感じる視線はほとんどなくなっていた。まぁ時々思い出したように凄まじい殺気が突き刺さったが、無視できる程度だった。
しかし、時を同じくしてそろそろ雑談にも飽き始めていたらしい揚羽が提案した。
『しりとりでもしましょう!』
そして了承した俺と春菜と龍次で、二時間しりとりをするはめになった。
……しりとりが二時間続くのもツッコミどころだけど、それだけでここまで消耗しない。
思いだすのも億劫だが、確かこんな感じだった。
〜〜〜〜〜〜
「『スイカ』」
「『カ行変格活用』!」
「待て。それは単語として扱われるのか?」
「え? でもこの前のテストに出ましたよ?」
「確かに出たけど」
「『上杉景勝』」
「春菜、何故あえて息子の景勝……。あと人名もオッケーなのか」
「『つ』だな。『ツインテールが大好き樹』!」
「そんな単語も嗜好も存在しねえよ!」
「ツインテール……」
「ツインテール……」
「ちょ、何故二人して信じかけてんの!? ないから!」
「堅い事言う奴だな。じゃあ『爪の垢を煎じて飲め』」
「『飲む』な。む……『虫』」
「し、し、し…………あ、『死屍累々』!」
「嬉しそうにグロい単語を言うな!」
「『一死報国』」
「よりにもよってそんな単語で繋げんな重いわ! よく知ってたなそんな四字熟語」
「この前テストで」
「出てねえよ!!」
「『く』ときたら、『苦痛が嬉しいマゾヒスト樹』!」
「だから意味不明な設定と単語捏造してんじゃねえ!!」
ズビッ
「ぬもっ」
〜〜〜〜〜〜
「鮫島くーん。聞こえてるかーい?」
「……あぁ、すみません。ちょっと嫌な事思い出してました」
先生の声で我に返り、絞り出すようになんとかそう答えた。
こんな感じで突っ込みっぱなしの三時間。つい突っ込んでしまう自分をこれほど虚しいと思った事はない。
別にしなくてもいいのにな。一体いつ身についてしまったんだこの残念な条件反射。そのおかげで人生初の『ツッコミ疲れ』とでも言うべき多大な精神的疲労をおってしまった。
でもあの状況で誰が悪いのかと言われたら、九割がた向こうだろう。なんせ常識から外れたことしかやってないんだから。
しかし、龍次はともかく、揚羽と春菜まであんな事ばっかり言うなんてな……。特に春菜。
本人たちは至って真面目にやってるから、ある意味余計にたちが悪い。
「んー、まあいろいろあったのはなんとなくわかったけどー」
普段よりだいぶ覇気がなくなっているだろう俺の表情を眺めながら、うんうんとわかったような表情でそう言って、吉兎先生は俺の肩にぽんと手を置いた。
「とりあえずみんなに迷惑だから、バスからは降りようね?」
それは確かにそうだった。
***
傍から見て明らかに乗る前より重くなった足取りでバスから降りると、少し湿った風が頬を撫でた。
到着したのは駐車場と呼べるかも怪しい、ただ地面をならしただけの空き地。そして、その目の前にはまさしく「山」としか表現できないような雄大な自然があった。
自分のクラスの列に向かいながらぐるりと周囲を見渡してみても、乗ってきたバス以外は人工的なものが見当たらない。
……山に来たって感じはするが、林間学校としてはどうなんだろう。この文明の見当たらなさは遭難する奴が出ても不思議じゃないぞ。
「おう、樹。復活したか」
「ああ、とりあえず…………って、むしろお前の方が大丈夫か」
クラスの列で俺を迎えてくれた龍次の目は、凄まじく充血していた。
「やった張本人が何を言う。目潰しばっかりしやがって」
「いやお前がボケたこと言わなかったらそうはならないから。自業自得だろ」
そんなやり取りをして、龍次の目がこんな事になっている理由に思い当たった。
普段と違ってバスのシートが邪魔だったので、集中的にツッコミが顔面狙いばかりになったからだ。避けようと背もたれに隠れるもんだから、隙間に手刀を捻じ込むタイプが多かったし。
「三分ペースで食らうと、さすがの俺の回復力も追いつかなかったらしい」
「ならやめろ」
「絶対嫌だ!」
「俺が言うのもなんだが、もっと自分をいたわれよ!?」
叫び返した時、
「全員揃ったようだな!」
大音声が響き渡った。
林間に浮かれてか、はたまた雄大すぎる山への不安か、ざわついていた場がその声で静まり返る。
俺は即座に高い所へ視線を巡らし、バスの屋根の上に立つ会長を発見した。
「いたぞ」
「あ、本当だ。よくそんな早く見つけられたな」
「そう言われると何故か虚しいな……」
見つけたくて見つけたというか、反射的に探してしまった感じだし。本当、無意味な条件反射だ。
そうこうしている内に、他のみんなも会長を発見し、視線が集中していく。
「長旅御苦労! しかし、あの程度はまだまだ序の口。本番はこれからだ! 今より、『激闘サバイバル林間学校〜生きたくば強くあれ〜』の第一修練を開始する!」
「ついに修練って言った!?」
今までも訓練とか言ってたけど。
「細かな説明は不要。眼前にそびえる山を踏破せよ。以上だ!」
「え、この山を?」
目の前の雄大な自然を見ると、思わずそんな言葉が出た。
しおりにはハイキングって書いてたはずなのに。あれは麻人先輩なりのオブラートだったんだろうか。
まぁ実際、こんな本気の登山だと思ったら参加者はこれより少なかっただろうが。
『えー、さすがに今の説明だと皆さん不安だと思うので、僕の方で補足させてもらいます。よく聞いてください』
いつの間にいたのか、会長が立つちょうど真下の位置で、マイクを持った麻人先輩が引き継ぐ。
……林間って、三年生は来ないもんじゃなかったっけ? 受験生って夏からが正念場って言うし。
確かに麻人先輩がいないと恐らく行事が成り立たないとはいえ、憐れすぎる。
『ここから少し歩いた所に登山用コースがあるので、そこから道なりに宿に向かってください。一本道なので迷うことはないと思います。順序は二年A組からクラス順。道中、いくつかのポイントに先生がいらっしゃるので、体調が悪くなったりトラブルがあった場合は遠慮なく言ってください。あと』
麻人先輩はそこで言葉を区切り、ちらりとバスの上に立つ会長を見た。
『林間学校ということで浮かれてしまうのもわかりますが、絶対に、間違っても、自ら危険に飛びこむような行動はしないでください。まぁないと思いますが、万が一そういう行為をしてしまう生徒がいた場合、生徒会長が自ら赴いて注意を行いますので、よろしくお願いします』
補足が終わるのと同じタイミングで、会長が唇の端を釣り上げた。
思わず背中がぞくりと粟立ってしまう、極悪な笑みだった。
「かか体が、う、動かないんだけど、おおお、俺の首飛んでない? 落ちてない?」
「取れてないから落ちつけ。貧乏ゆすりが高速すぎて、残像で体が肥大して見えるぞ」
自分を抱くようにして猛烈にガタガタ震える龍次。見事に会長の殺気にあてられている。
周りを見渡すと、同じように震えている奴や腰を抜かしている奴がちらほらいた。それだけの殺気だった割に、春菜や揚羽はわりと普段通り。
どうやら何かしらしでかそうとしていた奴らにのみ効く笑みだったらしい。器用というか、人間技じゃねえ。
『では、二年A組から登山を開始してください』
生徒の一部が恐怖におののく中、麻人先輩のアナウンスが響いた。