1-4 裏門の攻防
優里は裏門へと走りながら唇を噛んだ。
(クソ……。ウチがあんな事言わんかったら……)
奏達に言った言葉を思い出していた。
『先、行っといて』
優里があんな事を言ったから、二人は裏門へと向かい、結果モンスターと遭遇することになった。
優里を待ち、一緒に行動していれば、ジオキルからの忠告を受けてモンスターに遭遇することもなかったのだ。
もちろん、それはただの結果論。あの時こうしていればなどと後悔しても意味のない事だ。
しかし、友達が危険に晒されているなんて知らされると、結果論では済まされないと思う。
(大丈夫やろか。モンスターなんかに襲われたら…………いや、そんな事は絶対にあらへん!)
首をぶんぶんと振って、最悪の想像を振り払う。
当然、モンスターに優里が突っ込んだ所で何ができるというわけでもない。
優里はただ人より運動が出来るだけの一般人だ。殴り合いのケンカなんてした事もないし、格闘技を習った経験もない。
そもそもモンスターなんて人外の相手に、ケンカや格闘技などが通じるとも思えない。
それでも。何もできないかもしれなくても。何もしないでいるなんて出来なかった。
自分の大切な友達がモンスターなんて恐ろしいものに襲われているのに、自分は安全地帯で待っているなんて選べなかった。
恐怖よりも友達を想う感情が、優里の足を裏門へと向かわせる。
***
一方、優里の向かう裏門では、
「ゴガアアアァァァァァァァァァァァァァァァアアアア!!」
体中を支配する破壊衝動に身を任せ、暴れ狂うモンスターと、
「……しぶとい」
モンスターと対峙する守が立っていた。その服装は汚れているものの、怪我らしい怪我は見当たらない。守の背後五メートルほどの位置に、風道が奏の盾となるように立っている。
守は放送でモンスターの襲来を告げた後、一人でモンスターと戦っていた。
攻撃を浴びせて一度は追いつめたものの、逃げに転じたモンスターを討ち逃してしまい、裏門まで逃げられるはめになってしまったのだ。
ゴリラの上半身に象のような太い足を持つモンスターは、守めがけて巨大な拳を振り降ろした。
攻撃を察知し、守はその場から飛んで回避。直後、巨大な拳が地面にめり込んだ。
人間の一人くらい簡単に潰せる威力。その威力に背筋に寒いものを感じながらも、守は次の動作に移る。
「――弐、ドリフォロカスト」
守の口から詠唱破棄した魔法が紡がれる。その言葉に呼応するように、彼の顔の正面にソフトボールほどの白い球体が現れた。続いて右肩、そして左肩の位置に、同じ球体が現れる。
淡く発光する三つの球体は、
「行け」
守の声を合図に爆発的に膨張した。一気に直径一メートルに達した白い塊は、砲弾のような速さでモンスターへと襲いかかる。
顎、右肩、左脇腹。速度というエネルギーを得た三つの衝撃が、ゴンッ!! という壮絶な音と共にモンスターに直撃した。
モンスターがよろめく。しかし、数百キロに及ぶその体重は衝撃に耐え、転倒させるには至らなかった。
モンスターが怒りの咆哮を上げ、その太い足を蹴って守へと突進しようと動いた瞬間、
左右、そして正面から。再び三つの球体がモンスターに襲いかかった。
三方向から迫る白い球体がモンスターに触れた瞬間、
爆発。
爆音がその場を支配した。
三つの爆発はモンスターを中心として衝撃を生み、爆風を吹き荒れさせた。爆風が守、その背後にいる風道と奏の髪を乱す。
「すご……」
後ろで驚きの声を漏らす風道の声が聞こえた。守はその声には無言を返し、もうもうと煙が立ち込める爆心地を見つめていた。
やがて煙が晴れる。そこにいたのは、ゼロ距離で三つの爆撃を浴び、ボロボロになって横たわるモンスター。だらしなく手足を投げ出し、動く気配はない。
それを見てようやく守は警戒を解いた。
「……く、久瀬。お前、すごいな。魔法、つ、使えるし、モンスター倒すし。俺なんて、ビ、ビビッて全然、動けなかった」
守が見ると、風道が苦笑していた。恐怖からか顔は少し青ざめているし、声も震えている。
「それが普通だ」
むしろ、それだけ怯えていても、ちゃんと職務を全うする為に奏の前に立った勇気は誉められたものだと思う。
「というか、久瀬は全然動じてないな」
「何回か会った事がある」
魔力の素養のせいか、守は時折モンスターに襲われる事があった。守が一人の時、それも人気のない場所でのみだった為、騒ぎになるような事はなかったが。
だから守は知っている。魔王のいる所に特別多いというだけで、モンスターはどこにでもいるという事を。
「奏様、大丈夫ですか?」
服が汚れる事も気にせず、地面に座り込んでいる奏へ風道が声を掛ける。
奏は不安そうな顔で風道を見上げた。
「あ、う、うん……。大丈夫」
体を小さく震わせる奏の前で、風道は視線の高さを合わせるように片膝を着いた。
気持ちを落ち着かせる為か一度大きく息を吸い込むと、奏を安心させるように笑みを作った。
「もう大丈夫です。久瀬が俺達を守ってくれました」
「そっ、か。ありがとう、久瀬君」
青い顔で笑みを作って、奏は守に礼を告げた。
「別に」
守は無表情のまま短くそう言うと、奏から顔を逸らした。
はっきり言って、そんな事を言われても困る。
守は、奏達を守ろうとしてモンスターと戦ったわけではない。他の誰かを守ろうとしたわけでも、学校を守ろうとしたわけでもない。
モンスターが現れた理由が、また自分を狙っているからだと思ったからだ。自衛の為、そしてそれに巻き込まない為に、みんなの避難を促して一人でモンスター戦ったのだった。
だから、結果としてみんなを守ることになったとしても、それを感謝されても、何というか、対応に困る。
しかし、
(結局、何故モンスターは現れた?)
相変わらず動かないモンスターを見て、守は首を傾げた。
守がモンスターに襲われる場合、モンスターは初めから彼を標的として認識し、襲ってきた。
しかし、今回は違う。いつもは身構える前にいきなり攻撃してくるはずのモンスターが、守が先に攻撃してから反撃するという反応を見せた。
そうなるように仕組んだのではない。守と対峙した時、モンスターはまるで驚いたように固まっていたからだ。その反応は、モンスターはまだ自分を敵として認識していなかったように思える。
つまり、最初から守が目的ではなかったのではないだろうか。
守が抱いた感想としては、モンスターは特に目的を持たずここに現れ、暴れていただけ、だった。
(まぁいいか)
そう結論付け、守はその事について考える事をやめた。
モンスターは倒したのだ。脅威が去った以上、特に考える必要もないと思った。
そんな守達の元へ、
「かなでー! おおじー!」
少し遠くからそんな声が聞こえた。
***
女の子座りをしている奏、そんな奏の前で片膝を着く風道、そして何故かいる守。
走りながら三人の姿を確認し、優里は安堵のため息を漏らした。
(よかった……。無事みたいやな)
徐々にスピードを落とし、三人の前で止まる。奏は青い顔をしていた。
「大丈夫か? ケガとかしてへん?」
「大丈夫だよ。ちょっと腰が抜けちゃっただけだから」
あはは、と苦笑いを浮かべる奏。優里に心配かけまいと、無理に笑顔を作っているのが丸わかりだった。
はー、と長く息を吐くと、優里は奏に顔を近づけるように前かがみになり、それから右手を奏の額に突き出して、
「あうっ」
軽くデコピン。痛みより驚きを表情に出す奏に、優里は人差し指を立てた。
「無理なんかせんでええの。怖い時は怖いってちゃんと言ってや。ちょっとくらい頼ってくれた方が、ウチも嬉しいし」
言うと、ニッと笑いかける。
その笑顔に安心したのか、奏の形の良い眉が八の字に曲がった。目尻から涙がこぼれ、そのままボロボロと泣き出してしまう。
優里はそんな奏を抱き寄せると、子供をあやす様に頭を撫でた。奇しくも、昼食の時と逆の構図になる。
「久瀬が守ってくれたんだ」
「そっか。ありがとな、守。ってかアンタすごいな。アレもアンタがやったん?」
風道に教えられ、うつ伏せに倒れるモンスターに視線をやって訊ねる。
爆発でもくらったのか、モンスターは黒焦げで動く気配がない。
守は数秒ほど優里と奏を眺めていたが、
「…………」
何も言わないまま、そっぽを向いてしまった。
素直やないな、守の行動に優里は少し笑う。
「で、これからどうすんの? モンスターもやっつけたみたいやし、避難訓練通りやとグランドに集合?」
「どうだろうな。とりあえず先生に指示を仰ぐのがいいだろう。モンスターの方は警察、いや軍隊を呼んで対処してもらおう」
「……質問。軍隊なんてどうやって呼ぶん?」
「姫宮家のツテを使って。一一〇番通報するよりかはマシな対応ができるだろうからな」
ボディーガードのマニュアルにでも書いてあるのか、後処理をすらすらと口にする風道に、やっぱパンピーやないねんなぁと優里は感心していた。
そんな四人の元へ、
「大丈夫かゆぅぅぅぅちゃぁぁぁぁん!!!」
アホこと流が走って来た。優里、守、風道の視線がその姿に集まる。
まだ距離がかなりあるが、何故か土煙が上がっている事がここからでもわかった。何故か目が異様にキラキラしていることもわかった。
なんであんな脚力しててウチに追い付けんかってん、と優里は首をひねってみる。
「相変わらず面白い奴だよな、結砂って」
「面白いというか、変やねんて」
常識外の姿に、顔を見合わせて苦笑を浮かべる優里と風道。
その動作で気付けなかった。
この瞬間に、今までキラキラしていた流の表情が一変した事に。
「ゆーちゃん、後ろ!!」
「は?」
叫ばれ、間抜けな声を漏らした瞬間、
優里の後ろに立っていた守が、横合いへ吹き飛ばされた。
凄まじい速度で守が校門の塀へと叩きつけられる。あまりの威力にコンクリート製の塀が砕け、その瓦礫に埋まる様にして守は地面に倒れた。
一体何が起こったのか。そんな疑問を頭に浮かべる前に、答えが優里の目の前に現れる。
守に倒されたはずのモンスターが、優里の目の前で巨大な拳を振り上げていたからだ。
「なんっ……」
恐怖よりも先に驚きがきた。あれだけボロボロにされても動くなんて、思いもしなかったからだ。
思考に体が追い付かない。さらに優里は奏を抱き締めたままだ。こんな状態で動けるはずがない。
モンスターが、優里の頭めがけて拳を振り降ろした。
世界から音が消えた。何故だか、モンスターの動きがひどくゆっくりに思えた。
モンスターがスピードを落としたわけではない。巻き起こる砂塵も、肌で感じる風も、腕の中の奏が身を固くしたのも、風道が何か叫んでいたのも、全てがスローモーションに感じる。
コレが走馬灯なんかな、と優里が思ったのは、巨大な拳が優里との距離を五〇センチ程度に縮めた時だった。
同じく、
「ゆーちゃんに手ぇ出してんじゃねええええ!!」
トップスピードを維持したまま、流がモンスターの顔面に飛び蹴りを放った瞬間だった。
流の足がモンスターの顔にめり込む。スピードの乗った見事な一撃は、モンスターを後方に吹き飛ばした。
地面にバウンドし、二、三度転がってモンスターは止まった。守の攻撃のダメージも合わさってか、起き上がろうとする動きはどこか緩慢だった。
「ア、アンタ……」
地面に着地し、流が駆け寄ってきた。
今になって恐怖が襲ってきた。思わず奏を抱き締める手に力がこもる。
「大丈夫か、ゆーちゃん。だけどオレが来たからにはもう安心!」
胸を張り、自信満々に言う流に、一瞬呆気にとられ、それから場違いとは思いつつも優里は頬をほころばせてしまった。
根拠も何もない発言だったが、流の能天気さはこういう場面だと安心をくれた。
「大路はゆーちゃん達と一緒に逃げてくれ。オレはあいつをカッコよくやっつける」
優里と奏を立ち上がらせて風道にそう言うと、流は制服の袖をまくった。
その顔には恐怖や絶望といった様子が欠片もない。本気でモンスターを倒せると、そう思っている顔だった。
「ちょ、ちょい待てや! アンタ、ホンマにあんなもん倒せると思ってんの!?」
「大丈夫! オレってば、四トントラックにはねられても無傷なくらい丈夫だから」
「いやそれは人としてどう――」
「オォォォォアアアアァァァァァァアアアアアア!!!!」
優里の言葉を遮る形で、モンスターが吠えた。ビリビリと、空気を震わす様な音圧が肌を刺す。
モンスターは右手で右目を押さえていた。どうやら先程の流の跳び蹴りはそこに当たっていたらしく、赤黒い液体が頬や手を伝っていた。
手で隠されていない左目が流を睨んでいた。明らかに怒りの感情がこもった視線は、標的を流に定めたという事を言葉にせずとも伝えていた。
「結砂、別に倒す必要はないんだ。あんなヤバいもんを相手にしなくたって、しばらく逃げ切れば軍隊が来てくれるんだから」
「大丈夫! オレってば、倒れた四トントラックを起こせるくらいパワーあるから」
「アンタホンマに人間か!? いや、アンタが頑丈なんも馬鹿力なんもわかったから、一緒に逃げんで!」
優里は言ったが、流は不敵に微笑んだだけだった。
「オオオオオォォォォォォォオオオオオ!!!」
再びモンスターが吠える。そして、優里達の方へ突進してきた。
それと同時に、流がモンスターの方へと一直線に駆けだす。
「あのアホ……!」
今からでも連れ戻そうと優里は走り出そうとしたが、その腕を風道につかまれた。
「何すんねん!」
「お前が行ってどうなるんだよ。あいつが体張って俺達を逃がそうとしてくれてるんだぞ。それを無駄にする気か?」
「そうやけどっ……!!」
放ってられるか、と言おうとして、気付いた。
優里の腕を掴む風道の手が震えていた事に。
その表情が今まで見た事ないくらい険しかった事に。
風道も感情を殺しているのだという事に。
「く、そっ……!」
流とモンスターに背を向け、その場から離れる為に走り出した。風道も奏の手を引いて並走する。
「アイツ、ホンマに大丈夫なんか? あと、守も無事なんかな」
「久瀬は奏様を避難させたら俺が見に行く。結砂にしても、あいつの頑丈さは半端じゃない。まともにもらわなければ、たぶん大丈夫だ」
「……そうやな。トラックの話がホンマなんか知らんけど、ウチが毎回ボコっても平気やし」
嫌な考えを拭うために、少しでもいい方向に考える。そう思うと、心に少し余裕ができた。
優里がきっと大丈夫とあまり根拠のない事を思った瞬間、
「わっ」
風道に手を引かれて走っていた奏が、つまずいて転んだ。
「っ! 大丈夫ですか奏様!?」
「ご、ごめん。足が追い付かなくって……」
「あやまんのは後! 今はさっさとここから逃げて、はよう守と結砂を助けたらなあかん!」
優里は奏の腕を掴み、力づくで立ち上がらせる。
そしてその瞬間に、見た。
流に向かっていたはずのモンスターが、こちらへ向かって一直線に走りだしていた事を。
流に怒りを向けていたのではないのか? こちらの方が早く倒せると思ったのか?
そんな事を考えている間に、モンスターがまた一歩踏み出していた。
距離にして五メートルもない。残された猶予は一秒未満。
優里はとっさに掴んでいた奏の腕を思いっきり後ろへと引っ張った。奏を後ろに回らせ、自分がモンスターの前に立ちはだかる様に。
ほとんど反射だった。目を見開いていた奏と一瞬だけ目が合い、すれ違った。
奏を後ろへと突き飛ばす。腕から手が離れる。
前を見ると、モンスターが拳を振り上げていた。
防ぐすべも避けるすべも持たない優里は、迫りくる衝撃への最後の抵抗に、固く両目をつむった。