015 ありえない話をしよう

 

 

 

 

 

「ありえない話をしようか。谷口君、豚が空を飛んでいるよ?」

放課後の二人きりの教室。曽根原のそんな言葉に、僕は表面上何の反応も返さず、表面下ではこいつ捻くれ過ぎてついに理解を放棄したくなるような事を言い始めたんだなぁと憐れみ半分気持ち悪さ半分で思っていた。

とはいえ彼女の言動が突拍子もないのはわりといつも通りのことなので、憐れみも気持ち悪さも三秒後には消えていた。

「谷口君、今のは小手調べの軽いジャブだよ。そんなに引かないでくれないかい?」

くるりと椅子を反転させ、曽根原がこっちを向く。

僕は特に曽根原の方に視線を向けることもなく、手元の学級日誌にペンを走らせた。本日の日直、谷口と曽根原。

「ふむ、つれないね。『女が喋っている時、男は黙って聞くものだ』という言葉があるけれど、一方通行は悲しいと思わないかい? それより前提、君は僕の話を聞いているかい?」

「君が日直の仕事を一つでもしてくれるのならその突拍子もない話題に乗ってもいいけど」

「よしやろう」

言うや否や、曽根原は立ち上がって黒板へ向かった。黒板消しで曽根原と谷口という文字を消し、僕の後ろの席二名の名前をチョークで書く。手に付いた粉を払うと、彼女は元通り自分の席に戻り、僕の方を向いて座り直した。

……別に曽根原に期待なんかしていなかったけれど、まさか日直の名前を書き直すことしかしないとは思わなかった。せめてあと日付を書き直すくらいしてくれてもいいものを。

「それじゃあ、続きといこうか。津田君が数学で一〇〇点」

確かにアッキーにはありえない。早退者なし

「吉森君が性転換」

天地が覆ってもありえない。一、二、六限欠席者なし。

「谷口君が望月さんにぞっこんラヴ」

……………………三、四、五限自主欠席、曽根原。

「なんでそれがありえない話になるんだ?」

「おや、ありえた話だったのかい?」

そう言って愉しそうに笑う曽根原。僕は口をへの字につむぐ。

迂闊。安易な誘導尋問だった。

「別に。ありえない話だろうと、僕がそう思われるのが癪なだけだ」

「ふうん。それじゃあ逆説、谷口君は例え話であろうが望月さんを好いていると言われることに精神的嫌悪を抱いてしまうということだね?」

「誰もそこまで言ってないだろうが。勘違いするな」

「『勘違いするな』はもはや典型的ツンデレ発言だとおもうわけだけど、その辺りどうだい?」

そこまで言われ、僕は反論を諦めた。無駄に口達者なこいつに口論で勝てるとは思えない。ならばどうするか。何も言わない。

しかし僕が黙秘を始めたことを察知しても、曽根原はどんどん話を進めていく。

「で、谷口君がだんまりを決め込んでしまったから僕は勝手に『例えば』の話の続きでもするんだけど、何故『ありえない』と僕が思ったかわかるかい? それは、君が望月さんに抱いているその感情が、『ラヴ』と聞いて想像するものとは違う形のものだからだよ。もちろん、好意には違いない。けれどそれは一般的に男子が女子に抱く愛欲――恋愛とは違うんじゃあないかい?」 

僕は何も言わなかった。

「なんせ、君はあまりにも彼女を大切にしすぎている。君は驚くほど他人に興味を持っていない――いや、正確には他人を信じていないんだったね。だからこそ、例外的に信じ切られている望月さんが浮き彫りになり、僕は気付いた。津田君もまぁ、他に比べればまだ信用されているようだけれど、それでも望月さんか津田君かと問われれば、君は迷いなく望月さんを選ぶだろう? この二人が他人になく共通しているのは、どちらも一般的に天然と呼ばれる性質であり、しかし本質を見ればどこまでも、それこそ愚かしいほどに純粋であるいう事だ。誰しもが成長する過程で失っていく純粋さを、まだ失わずに持ち続けている彼女達。では何故谷口君は望月さんを選ぶのか?」

僕は何も言わなかった。

「望月さんが女で津田君が男だからだ。その純粋さを犯す悪意に女が弱いからだ。わかりやすい例を挙げるなら強姦とかかな。単純に、男と女で抗える悪意の量には絶対的な差があるんだよ。差別するつもりはないけれど、人間が身体に依存して生きている以上、『身体的に弱く作られている女が弱い』という事実はどうしようもないね。彼女がああであるからには、これまでそういった抗えざる悪意とは無縁の人生だったと思う。しかし、これからもそうであるとは限らない」

僕は何も言わない。

「だから僕は思ったんだ。谷口君は望月さんをどうにかしたいんじゃなく、どうにもしたくないんだと。この世で数少ない、君が信じられる純粋なものを傷つけたくないんだと。君が欲しているのは今のままの彼女で、君の望みはさながら彼女の純潔を守る騎士という所かな。まぁ長々と話してきたわけだけど、結論を言うと――」

 

「谷口英文が望月彩花に抱いているのは、男が女に向ける恋愛感情じゃなく――――信者が神に向ける崇拝に近いものなんじゃないかい?」

 

僕は曽根原を見た。相変わらず何を考えているか読めない、愉しそうな笑みを浮かべて僕を眺めている。

なんともまぁ、大層な話だ。話を広げるにしても程がある。

「ありえない話だな」

だからこそ捻くれ者らしく、僕はそう答えた。曽根原はやっぱり笑っていた。

 

 

 

 

 

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