〈十一〉試験前

 

 

 

 

 

やぁミケ。

こんにちは、トム。えー、ところで、私には今、問題があります…………困っています?

どうしたんですか?

駅までの道がわからないのです。

駅はこの道をまっすぐ行って……二つ目のブロックを右に曲がり、道を…………挟んで? 銀行のたぶん右隣、にあります。

ありがとうございます。

つーかそんな近くにあるんなら気付けよ、ミケ。

「樹。その人はマイクだぞ」

「……そうか」

名前間違って減点されるのは恥ずかしいな。Mikeはマイクか。消しゴムで消して訂正。

現在状況。俺達は放課後の教室で来週に迫った期末試験の勉強をしている。

俺達、というだけあって、もちろん俺一人で勉強しているわけではない。今いる面子は、

「やっぱり樹は英語駄目だなぁ。これからのglobal社会で落ちこぼれる事間違いなしだ」

英語だけは高得点、それ以外は赤点ぎりぎり龍次。自分でも国際派じゃないと知ってる。

「それより樹。そこテスト範囲外」

文武両道を地で行く朱音。え、マジで?

「揚羽さん、この問題は先に三でまとめた方が計算しやすいですよ」

運動は駄目だけど勉強はできる春菜。勉強中は眼鏡。

「なるほど! 確かに見やすいですねー」

理系より文系、平均付近の揚羽。俺といい勝負。

「ちくしょう! 化学なんてこの世から滅べ!!」

あとタカ。この中で一番アホ。

「でもな、タカ。化学がなかったらプロテインは生まれなかったんだぞ?」

「っ……! 確かにそうだけど……」

「まぁ俺、別にプロテインは好きじゃねえけどな」

「何だとこの沢木野郎!!」

「今の発言の何がタカの怒りに触れたかわからん」

お前プロテインそんなに愛用してたっけ? どうでもいいけど。

つーか龍次ももっとマシな説得色々あるだろ。何故よりによってプロテイン。

「化学の産物がすごいってことはわかるけど、やっぱり筋肉を人工的につけるのはなんか違うって思うわけよ。わかるだろ、樹」

「いや知らん」

というか今の状況においてプロテインの話なんてどうでもいい。今一番の問題は、テスト範囲外の勉強に費やしてしまった時間の回収だ。

「樹君。あの、ページ丸暗記より必要な構文だけ抜き出して、その用法を覚えた方が効率がいいですよ」

「確かに。ただでさえ苦手なのに、覚える量増やしていい事ないしな」

ありがとう春菜。アドバイスどうり、勉強法変えよう。

…………あれ? 必要な構文ってどれだ?

「はいはい!! 猫乃さん、そんな茶色い奴だけじゃなくて俺にも教えてください! 俺は英語をどうしたらいいっすか!?」

「タ、タカ君はまず単語を覚えた方がいいと思いますけど」

「了解っす! あざっす!!」

うざいテンションで春菜に絡んだタカは、猛烈な勢いで教科書の単語をノートに書き出していく。ちなみにさっき化学に関しても似たようなやりとりがあったが、その結果がさっきの「化学滅べ」発言だ。たぶん五分後には「英語なんて覚える価値ない」とか言い出すに違いない。

「春菜ちゃん。俺は?」

「えっと、英語で龍次君に教えられることなんてないんですけど」

「ていうかむしろお前、英語のテスト対策なんて必要ないだろ」

ノリが合うのか何なのか、龍次は嫌に英語が出来る。俺が知る限り塾どころか通信教育すらやっていなかったにも関わらず、日常会話ならもはやペラペラ。

独学……というか学校の授業だけで何故そこまでできるようになったのか不思議で仕方ない。英語のテストの時だけでいいから脳みそ貸してくれないだろうか。

そんなことを考えていると、龍次はフッと鼻にかかった声を漏らした。

「敵を知り、己を知れば百戦危うからずという言葉がある。テスト範囲を知り、自らの優秀さを他者の言葉によって知った俺は、まさに死角なし。そう、この瞬間に俺のテスト勉強は終了した!」

意味がわからない。やっぱり龍次の脳みそなんて借りるだけ損だからやめよう。

「というわけで寝ます」

「もうお前が何を言いたいか全然わからないけど、寝るんなら帰れ」

「みんなが必死に勉強してる横で寝るからこそ、優越感に浸れるってもんだろ?」

「龍次」

龍次が調子に乗ってきた所で、底冷えするような一言が入る。

「うるさい」

「はい」

朱音の発言で俺達はおろか教室内全てが沈黙に包まれる。この前の騒動を思い出し、一瞬で空気が張り詰めてしまったようだ。ちなみに龍次は非常にきれいな姿勢で勉強を再開した。

この前の騒動――龍次がキレてタカが乱入して何故か俺が朱音に粛清されたアレ――で、朱音は少なくとも一年D組において、以前の俺と龍次以上に怒らせると怖い存在だと認識されたらしい。

まぁ実際、キレた朱音はめちゃくちゃ恐いけどな。なんせ朱音の家は代々続く剣術道場。しかも剣術というのは建前で、実際は槍術・薙刀術・弓術・十手術などなどあらゆる武器術を扱う武器のエキスパート。ウチの道場と違って、門下生も本格的に『そっち方面』人達ばかり。

当然のように朱音もその武器術を学んでいて、その腕前は正直……俺より強いと思う。

中学の頃、道場の見学に来て朱音に手を出そうとした新米自衛隊員三人(元アメフト部)を相手に木刀一本で足腰立たなくさせたのは道場内では有名な話だ。

「樹くん、手が止まってますよ?」

「あ、うん。そうだな」

揚羽に注意され、慌ててシャーペンを持ち直す。

あの時の自衛隊員三人の事前と事後の態度の変化を思い出して戦慄している場合じゃなかった。今は苦手科目の英語をどうにかしないと。

「あとこの問題ってどうやって解くんですか?」

「何故俺に聞く」

俺も数学得意じゃないぞ。というか、ぶっちゃけお前と同レベルだ。

「手が止まってたんで」

「そうか。まぁどの道俺には分からん。春菜、悪いけどこの問題の解き方を教えてくれ」

「あ、はい。えっと……まず分母を有理化すればそれだけでかなり違いますよ」

春菜のわかりやすい説明の下、俺達のテスト勉強は続く。

 

 

***

 

 

「てれれれ、てってってー! りゅうじはかしこさが一〇あがった!」

「あれだけ勉強してたったの一〇かよ」

ドラクエを真似たのか知らんが、発音的に余計アホさ際立ってるし。

午後七時。日も落ち、さすがに教室に残れなくなって追い出された俺達は、特に寄り道もせず帰路についていた。

授業が終わって集まってわりとすぐに始めたから、勉強時間はだいたい三時間くらいか。それなりにがっつりやった方だと思う。実際、数学については春菜のわかりやすい指導のおかげで基本的な事はだいたい理解できた。英語についてはまぁその、なんだ。大した成長はなかったけれども。

「フッ、わかってないな樹。お前は俺が言う『かしこさ一〇』の価値をちっともわかっていない」

意味ありげに肩をすくめてそんな事を言う龍次。

かしこさ一〇の価値? 龍次の言う事だからてっきり意味のない事だと思っていたんだけど、その言いようだと何かあるのか?

……まさか、平均点が一〇点上がったとか? いくら龍次が英語以外いつも赤点ぎりぎりだからってそんな事は…………いや、赤点ぎりぎりだからこそ、平均を上げるのは簡単という事だろうか。でもたかが三時間だぞ? そこまで劇的な効果を上げられるものなのか?

「樹。馬鹿の言う事を真面目に考える方が馬鹿よ」

「そうだった」

意味ありげに言った所で所詮龍次だった。

「突っ込みのくせに何やってんだよ、茶色野郎は」

「なんかキレがないですねえ。疲れてます?」

そんな俺になんだか微妙な事を言ってくるタカと揚羽。対して俺は、

 

ゴスッ

 

「ゴフッ!?」

タカの顔面に空手チョップをお見舞いした。

「お前の発言には悪意しかこもってない」

つーか人を色で呼ぶな。確かに髪の毛は茶色だが、今時それであだ名をつけられるほど珍しいもんでもないだろ。

「それにしてもみんな、帰る方向おんなじなんですねー。樹くんや沢木くんは何回かいっしょに帰ったことあるんですけど、烏丸さんとか猫乃さんははじめてですもんね」

同じ方向って言ってもまだ校門出て右に行ってるだけなんだけどな。

ちなみに揚羽にカウントしてもらえなかったタカが後ろの方で「白井さん俺も俺も!」とか言ってるが、うるさいので後ろ回し蹴りをかましてやったら黙った。

「俺と樹と朱音んちは結構近いぜ。どっちも直線距離でだいたい一〇〇メートルってとこだし。実は上空から見ると二等辺三角形に見えることから、俺は地獄のとんがりコーン地帯って呼んでる」

「お前のその発想は一体どこから湧いて出てくるんだ」

というか何だその意味不明な地域。

「私は樹君の家より、もう少し駅の方ですね。郵便局の近くです」

「ってことは春菜ちゃんちって結構俺んちから近いな。ご近所さんうえーい」

「う、うえーい?」

龍次は戸惑う春菜の右手を左手で顔の高さまで上げさせ、空いている方の手で何とも無理矢理なハイタッチを決めた。

なんか龍次のテンションがいつもと違う意味で変だぞ。どこがどう違うと言われても困るが、なんか変だ。勉強疲れか?

「いえーい!」

何故か揚羽も加わったから更に意味不明だった。まぁ揚羽だから気にしない。

「あ、ちなみにわたしはこっちです。ので、またあした!」

ハイタッチした右手をそのまま振って、揚羽は俺達とは違う路地へと入っていく。

確かにいつもならここで別れるんだけど……揚羽と帰る時は基本的に日没前だからそこまで心配いらないんだが、今日は七時とはいえもう日は落ちて辺りは暗い。

女子が、それも揚羽みたいなかわいい上に警戒心の薄そうな奴が一人で出歩くには危険じゃないだろうか。辻斬り事件の春菜の事もあるし。

「揚羽、送ろうか? 最近物騒だし」

そう言った瞬間、何故かものすごく視線を感じた。なんかこう、悔しさとか妬みとか恨みとか負のオーラがこもっていそうな。二つばかり。

「……何だよ、龍次とタカ」

「貴様、なに一人紳士気取って夜の街をエスコートしようとしてやがんだこの変態紳士!」

「誰が変態紳士だ」

「このクソ鮫島野郎、俺が言おうとしたセリフそのまんまパクリやがって! 著作権侵害で訴えんぞ!」

「被害妄想激しすぎだろお前」

発言が馬鹿すぎて殴る気も起らずテンションが下がる俺。一方で、アホ二名は勝手にヒートアップしていく。

「年中お寒い枯れ色頭!」

「バカ鮫島野郎!」

「毎日朝から晩まで武道の稽古とかMすぎんだろ!」

「アホ鮫島野郎!」

「今時ツッコミしかできないキャラとか流行んねえんだよ!」

「バカ鮫島野郎!」

 

バキゴンッ

 

「ゴディバッ」

「ブヘッ」

「そろそろうるさい」

いい加減、龍次の無駄なボキャブラリーとタカの貧相な語彙力のコンボにイライラしはじめた頃、朱音が木刀でアホ二名を叩きのめした。

「……朱音、ありがとうと言いたい所だけ俺のこの苛立ちはどうすればいい?」

「知らないわよ。突っ込みでもして発散すればいいじゃない」

「突っ込みはストレス発散方法じゃないからな!?」

ただ、叫ぶと心なしかイライラは薄れた。

……いや、突っ込んでストレス発散できわけじゃないからな? 叫んで少しすっきりしただけだから。突っ込みでストレスから逃れられるんだったら、関西人はもっと穏やかな性格になっていると思う。

「いいんですか? 樹くん」

今まで考えるように顎に手をやっていた揚羽が、いきなりそんな事を言う。

「え? 何が?」

「もー、自分で言ったじゃないですか。送ってくれるって。わたしの家そんなに遠くないですけど、樹くんが帰るのおそくなりますよ?」

「あー…………まぁそれは別にいい」

「そうですか。じゃあ、おねがいします」

そう言って深々と頭を下げる。別にそこまでしてもらわなくてもいいけど。

つーかついさっきまでのアホ二名とのやり取りは完全にスルーか。そこまで行くとちょっと尊敬できるぞ、その神経。

「じゃあ朱音。そういうわけだから、お前は春菜と一緒に先に行っててくれ。そこのアホどもは放置してていい」

「言われなくとも構いやしないわよ。あんたこそ、寄り道しないでさっさと送ってきなさい」

「了解。春菜、また明日な」

「あ、はい。また明日……」

何故だか春菜はいつもより心持ち元気のない声で手を振る。春菜もテスト勉強で疲れているんだろうか。

「こっちです。行きますよー」

「待て揚羽。何故走る?」

何故か走り出した揚羽を追う形で、俺達はみんなと別れた。

 

 

***

 

 

「そういえば樹くんと二人っきりって、実ははじめてですね」

「そうだったか?」

先を走る揚羽に追いつき、無駄に疲れるだけだから歩こうと説得したのち、俺達は並んで揚羽の家の方へと歩いている。

揚羽と二人きりが初めてって、さすがにそんな事は……………………あ、本当かも知れない。

「俺達だけが喋ってる状況っていうのはあっても、完全に俺達しかいない状態っていうのは本当にないな。よく覚えてたな」

一緒に居る頻度が結構高いから、そういう感じが全然なかった。

「それはそうですよ。樹くんは他のみんなよりちょっと特別なんで」

「特別?」

聞き返すと、揚羽は「これはわたしが何回か引っ越ししたから言えるんですけど」と言って続けた。

「たとえば高校だと、樹くんと友達になったから沢木くんや烏丸さんと友達になれて、猫乃さんともまた話すチャンスができて、亀田くんとも同じ友達がいるってことで仲良くなれました。もしわたしが樹くんと友達になれなかったら、たぶんこんな風にはなってなかったと思うんです。だから、ここでの友達を作ってくれた、最初の友達の樹くんは『特別』なんですよ」

そう言うと、揚羽はにっこりと笑った。揚羽らしい、なんとも無邪気で爛漫な笑みだ。

「そんな大層な話でもないだろ。たぶん揚羽なら、俺じゃなくてもすぐに友達はできただろうし」

「でも、結局樹くんが最初の友達だってことは変わらないですよ。それにたぶん、樹くんとは最終的には絶対友達になれてましたよ?」

「何故?」

「今友達になれてるからです!」

胸を張って自信満々にそう言う姿に、一瞬呆気にとられた。それからなんだか可笑しくなってきて、俺は笑った。

「わたし、なにか面白いこと言いましたか?」

「いや、なんか揚羽らしいセリフだなぁと思って。別に悪い意味じゃない」

揚羽は不思議そうに俺の顔を見つめていたが、「まぁ、樹くんが面白かったんならいいです」と言って、再び俺の前を歩き始めた。

俺からしても揚羽は高校で最初にできた友達で、高校に入ってから一番一緒にいる時間が長い友達だ。

そういう意味じゃあ、俺にとっても揚羽は『特別』な友達かもしれないな。

 

 

 

 

 

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