〈五〉桐野高校大体育祭〜第十一競技 借り物競走(前)〜
「樹くん、本当に大丈夫なんですか? 体調が悪いままなんでしたら、代わってもらったほうがいいと思いますけど……」
「大丈夫だ。春菜が心配する必要がないくらいには回復したから。それに、これ以上他のみんなに任せるのはたぶん厳しい」
春菜の俺を労わる言葉にそう返して、俺はクラスのみんなを見渡した。
みんながみんな、相当疲弊していた。
無理もない。午後の部は棒引きとか綱引きとか障害物競走とか、本来は普通でも会長の手が加わるだけで相当デンジャラスなことになる競技ばっかりだったからな。
棒引きは棒を自陣に運ぶ前に会長に物理的に倒され、綱引きは最前線で綱を引く会長の殺意に満ちた視線で精神的に殺がれ、障害物競走に至っては一体どうやって用意したのやら、壁とか丸太とか沼とかもはや緑山の某巨大フィールドアスレチック番組状態だった。
会長にとって体育祭って一体何なんだろう。そんな事を思わず考えてしまうような競技の数々だった。
まぁ唯一の救いは白黒両組に同じだけ疲労しているという事。おかげであまり点差は広げられず、むしろ負けている側の意地で底力を見せた俺達黒組が追い上げている。
現在の得点は一二七五対一三二〇。得点差は四七点とまだ大きいが、この次の最終競技である組別対抗リレーの配点が五〇点である以上、望みはある。
逆にいえば、この競技で負け越すとその時点でこっちの負けは確定。だからここは、少々の不調は無視してでも比較的元気な俺が出るべきだろう。
『それでは、次の第十一競技借り物競走の出場選手は入場門に集まってください』
「よしっ、じゃあ行ってくる」
「俺の雄姿を克目せよ!」
借り物競走の出場選手はクラスから男女関係なく二人。体力・精神力がともにあまり削られていない俺達が出場することになった。
朱音も一応そうだが、あいつは最終競技に出場が決まっている。こんな所で体力を削らせるわけにはいかない。
「樹君も龍次君も、頑張ってください」
「任せとけ、春菜ちゃん。借りるどころかそのまま貰ってきて春菜ちゃんにプレゼントしてやるぜ」
「お前それ借りパク」
「ハッ、樹は読みが甘いな。勝利の女神から文字通りの勝利を俺が借り受けるって意味だよ」
「…………言いたい事はわかったが、その上手い事言ったみたいな表情をやめろ。非常にむかつく」
確かにそれなりに上手い気もするけど。
「嫉妬はやめろよ、樹。確かに俺は今、上手い事言っちゃったけど」
「いや嫉妬の意味がわからん。そして自分で自分を誉めるなよ」
「いい事は誉める。悪い事はたしなめる。それが俺のquality of
life」
「意味不明度が加速したぞ」
「あの、そろそろ入場門に向った方がいいと思うんですけど……」
春菜にそう言われ、ようやく龍次とのやり取りが不毛だと気付いた。
そうだ。こいつのクオリティ
オブ ライフとか猛烈にとうでもいい。俺達は借り物競走に出場しなくてはならないんだった。
「すまん春菜。さっさと行ってくる」
「任せとけ、春菜ちゃん。借りるどころかそのまま貰ってきて――」
ゴンッ
「ドルプェッ」
「二度ネタはいらん。さっさと行くぞ」
殴り倒した龍次の首根っこを掴んで、俺は入場門へと足早に向かった。
***
借り物競走は一学年ごとに行われる。各クラスから選抜される二人×八クラスの合計一六人。その全員が五〇メートル先のメモを拾って借り物を探し、審査員に確認を取り、ゴールを目指すというのがこの競技。
騎馬戦の時もそうだったが、この高校の体育祭はやたらと大人数でさせる競技が多いな。さっきの障害物走も、ただでさえきつい障害が人の多さで更なる混乱を呼んでいた事だし。
「樹、人数にビビったか?」
「いや、むしろまた何か面倒事が起きやしないかと心配になっている所だ」
「面倒事? 何言ってんだよ。人生の主人公たる俺に平穏を望めという方が無理のある話だぞ?」
「……そうか。お前と関わった時点でそれがすでに問題だったわけか」
「HAHAHA。退屈しない出会いに感謝したまえ」
隣で高笑いする龍次は無視する方向で方針を決定し、俺は他のクラスの選手に注意をやった。
知っている所では、三度顔合わせのタカ、ダークホース亀田。そして、ありふれた食材でもはや兵器と呼べる代物を作ってみせた揚羽。他はよく知らん。
それにしても揚羽のあの料理……一体何がどうなってああなったのやら。何かいらないものを混ぜたに違いない。何を入れたらあんな味になるのかは想像つかないけど。
つい数時間前に食したあの味を思い出して一人戦慄していると、目ざとく俺と龍次の方へとやってくる馬鹿(タカ)が一名。びしりと指を突きつけてくる。
「そこの腹ん中までまっくろくろすけ野郎ども! ここであったが一〇〇年目、決着をつけてやるぜ!!」
「決着も何も、今のところタカの全敗だけどな」
「まったくだ。やーい、身の程知らずの体現者」
「ううっ、うるさいこの野郎! そう言う沢木だって、さっきそこのちびっ子に負けたじゃねえか!」
例によってぼーっとしている亀田を、必死の形相で指差すタカ。ちなみにお前も亀田に負けたが、それを忘れてないか?
「フッ、確かにそれは受け入れなければならない事実だ。しかし! 俺はお前のように同じ相手に二度も敗北するような男ではないのだよ。それをここで証明して見せよう!!」
またしても無駄に尊大な態度を取る龍次に、タカが苦悶の表情を浮かべる。何をそんなにダメージを受ける要素があるのか、また龍次は何故そこまでテンションが高いのか。色々疑問は多いが、もう突っ込むのは面倒だったので俺は放置を決め込んだ。
たぶん体育祭のせいだ。体育祭の空気でいつも以上に変なテンションになってるんだ。そう思おう。
「わたしも負けてられないですね。樹くん、今度こそ決着をつけますよ!」
「揚羽。やる気があるのはいいが、別にあのアホどもの真似をする必要はないからな」
むんと胸の前で拳を握る揚羽に、俺は冷静に突っ込んだ。
揚羽と決着をつけるような事は何もなかったはずだ。初対決だし。たぶんノリだけ真似たんだろう。
ちなみにとてもそういう風には見えないかもしれないが、俺だって負けるつもりは全くない。下手すればこの競技で勝敗が決まってしまうのだから、しっかり勝つ気だ。
『それでは、借り物競走一年生の組、位置について』
そうこうしている内に、麻人先輩のそんなアナウンスが場内に響いた。
さすがにこの人数、クラウチングスタートは不可能。横一列になる事もなく、マラソンのように雑多に全員が並ぶ。
この競技でのポイントは、いかにして早く課題をクリアできるか。無理にメモを早く取る必要はない。まぁ、龍次とタカはそんな事なんて頭の片隅にも考えていなようで、スタートラインの一番前に位置しているが。
『よーい』
「燃え上がれ俺の魂!」
「解き放て俺のポテンシャル!」
スタート直前までうるさいな、お前ら。
バァンッ
スタート。全員が、五〇メートル先のメモに向かって走り出した。
先頭を走るのは、この時点から全力疾走の龍次とタカ。
「「どぉぉりゃあああああ!!」」
誰よりも早く五〇メートルを走破した二人は、絶叫しながら地面に置いてあるメモに向かってヘッドスライディングをかました。
いやもう本当に…………あいつら、何がしたい?
ちなみにスライディングと同時にメモを掴んでいた龍次は、無駄に優雅な動きで土ぼこりを払っている。一方でタカは、着地に失敗したらしく顔面を押さえて転がりまわっていた。タカすごい無様。
そんな風に馬鹿二名の痴態を観察している内に、俺達他の選手も続々とメモに辿りついた。とりあえず手近にあったメモを拾ってみる。
さて、何を取ってくればいいのやら。
『桐野高校空手部の看板』
…………え、ちょ、これ、どういう意味? 道場破りでもして看板を貰って来いという事なのか?
混乱した頭でふと視線を感じ、そちらの方を見てみると、放送席の隣で会長がニヤニヤと笑みを浮かべてこちらを眺めていた。
……そうですか。あなたが書いたんですか、会長。なんか妙に納得しましたよ。
溜め息をつきながら辺りを見回してみると、他のみんなもメモの内容に困惑しているようだった。つーか、人によってはその場に崩れ落ちていた。どんな内容だったんだそれ。
「……樹のもなかなか困難そうな課題だな」
俺のメモを覗き込んでいた龍次が、同情しているような声で言う。
「俺のもって、お前のもこういうのなのか?」
「ああ。しかし、ある意味俺に相応しい借り物かもしれない」
そう言って龍次が見せるメモには、こう書かれてあった。
『ツチノコ(生け捕りに限る)』
「全然借り物じゃない」
誰に何を借りるんだよ。つーかそんな未確認生物を見つけられる事自体がありえない。そもそも発想が色々おかしいけど。これ見たら、俺の借り物の方がよっぽどマシな気がする。
「確かに借り物じゃない。だけど、こうもとれるぜ? 俺のような稀有な存在でない限り、奴らを捕獲する可能性は皆無。俺が数あるメモの中でこいつを選んだのは、まさに神が導いた運命だったと」
「妄想力もそのレベルにくると逆に感心するな」
最近のお前の誇大妄想はひどいと思ってはいたが、まさか完全な外れクジをそこまで解釈できるとは。
「とりあえず樹。俺は珍獣ハンターの称号を得る為にもヤツを探しに行くから、体育祭はお前に任せた。頑張って黒組最後の希望を繋いでくれ」
どこか影のある笑みを浮かべ、そう言い残して龍次は校門の方へと走って行った。
さすがの龍次も、あの課題は厳しいと心のどこかで悟ったのだろう。一応、あのアホの象徴のような幼馴染が、ある程度の常識的感性を有していてくれてほんの少し安心した。
が、だからと言って状況は何も好転していない。むしろ悪化した。
龍次が頼れないとなると、これは結構な問題だぞ。他に黒組で戦力になりそうな、もといクリアできそうな課題を取った奴はいないだろうか。
「な〜、鮫島さ〜。これどうしたらいいと思う〜?」
「亀田。一応敵なんだから、俺に聞くなよ」
他の黒組メンツを眺めている内に、何故か亀田に絡まれた。
「だってさ〜、これだぞ〜?」
危機感の全くない声で亀田がずいと差し出してきたメモには、こう書いてあった。
『教頭のヅラ』
「無謀すぎる」
つーか無理。教頭が一体誰なのか未だにわかってないが、ヅラを貸せと言われてはいどうぞと言う人はまずいないだろう。しかも生徒に。
会長の場合、可能不可能は無視して面白いか面白くないかでこの課題を制作したような気がする。というか、ほぼ確実にそうだな。あの楽しそうな笑みを見る限り。
「俺には頑張れとしか言えないな」
「マジでか〜」
言う割にはそれほど困ってなさそうな声の亀田。うーん、揚羽とはまた違った意味で緊張感が削がれる。
これ以上、こいつと絡んでやる気がなくなってしまう前に、さっさと看板を借りに行くとしよう。とりあえず勝手に持ち出すのは問題ありそうだし、蛍先輩の所にでも行ってみようか。
***
お、いたいた。
「蛍先輩」
「あら樹君、どうしたの? 借り物が知り合いの先輩だったりしたのかしら」
「いえ、そういうわけじゃないです。ちょっと許可が欲しくて」
少しばかりの時間を掛けて、応援席から蛍先輩を発見。
幸い、まだ自分の課題を借りられた選手はいないようだ。校門から校外へ走り去って行った奴ならたくさんいたが。
「許可?」
「ええ。空手部の看板を貸してほしいんですけど」
俺が借りたい物を告げると、蛍先輩は何かを察したような顔になった。
「…………つまり樹君は、ウチの空手部に道場破りをしにきた、そう解釈していいかしら?」
「いやそういうわけじゃなくてこのメモに――って言ってるそばから構えないで下さいよ!?」
「冗談よ」
構えを崩して悪戯っぽく笑う蛍先輩。冗談って、さっきの構えと表情はかなり本気に見えましたが?
「貸してほしいっていうのなら構わないけど、結構大きいし重いわよ、ウチの看板」
「あー…………まぁ、何とかします」
そうか、借りることばっかり考えて、運ぶ事を忘れてたな。しかも柔道場まで行かないといけないし。
くそう、騎馬戦やら何やらでそれなりに疲れてるんだけどな――
「姉ちゃん!」
そんな事を考えていると、突然背後から声が聞こえた。振り返ってみるとそこにはタカが。何か苦渋の選択を強いられたような悲壮感が、その表情から読み取れる。
ちなみにさっき盛大にヘッドスライディングした名残か、顔中砂まみれで微妙に情けない。が、それを突っ込むにはいささかタカの雰囲気が違った。
「? 何かしら、鷹志」
蛍先輩もただならぬ雰囲気を察したのか、怪訝な表情を作って答える。
タカは一度、手に持つメモへと視線を移した。その表情は、まるで覆らない事実を否定したいような表情だった。
やがてタカは意を決したように、視線を再び自分の姉――蛍先輩へと向ける。
「姉ちゃん……」
一度息を飲み、そしてこう叫んだ。
「頼む! 今すぐパンツを脱いで俺にくれ!!」
バキッ
「お前何言って――って、早!!」
反射的に突っ込もうとした俺の言葉より早く、蛍先輩の飛び蹴りがタカの顔面に炸裂した。見事に体重の乗ったその一撃は、声を上げることさえ許さずにタカの意識を刈り取っていた。
よ、容赦ねえ。まぁタカの発言に問題がありすぎたのが原因だけど。
「まさか鷹志があんな事言ってくるなんて……。今さら高校デビュー?」
「いや、そんな高校デビューはないです」
白目をむいているタカを見下ろして首を捻る蛍先輩に、俺はツッコミを入れた。
まぁ、蛍先輩の言いたい事もわかる。いくら大の女好きの馬鹿とはいえ、姉には絶対服従しているタカが、あんな発言をするなんて俺だって想像しなかった。したくもないけど。
つまり、あれほど苦渋に満ちた表情で言い切ったからには、何かしら理由があるのだろう。たぶん、今タカの手から滑り落ちたメモとか。
そこには、こう書いてあった。
『貴様の姉の下着』
なんてピンポイントな……。