〈二〉サバイバル林間学校〜一日目六時三〇分 集合〜
夏休み一週目の最終日。現在時刻は午前六時三〇分。
桐野高校の体育館には三〇〇人ほどの生徒が待機していた。その格好は普段ではありえない私服。そのうえ全員、学校に持ってくるには不必要なほど大きな鞄を持っている。
その理由は、
「樹くん、おはようございます!」
「おはよう、揚羽。テンション高いな」
「だって林間学校ですよ、林間学校! お泊まりです!」
そう、一、二年合同の林間学校だからだ。
ちなみに合同とは言うものの、二年生はC組とF組がいない。なんでも二年はクラス単位だが自主参加で、その二クラスは文化祭の練習だったり部活の大会だったりで参加できない人数が多くてやめたらしい。
まぁ二年に知り合いはB組の七星くらしかいない俺にとっては、あまり関係のない話だけど。
まだ点呼も始まっていなかったのでいつもの面子で集まっている中、龍次が揚羽の言葉に力強く頷いた。
「数百人ものうら若き男女が都会から隔絶された一つの屋根の下で三日もの日々を過ごす。そりゃあテンションも上がるってもんだよな、揚羽ちゃん」
「もっと別の表現があるだろ。なんかすごく不健全な感じがするぞ、その言い方」
「それはそう感じるお前が異端だ。男子の九割はこう思ってる。なぁタカ?」
龍次が同意を求めるように肩に手を置くと、タカは力強く頷いた。
「そうだな! つーか鮫島野郎はテンション低すぎんだろ!!」
「いや、別に低くないし。楽しみなことは楽しみだぞ。むしろタカはまだバスにも乗ってないのにテンション高すぎる」
拳を握って力説するタカは、血走った目をこっちに向けてきた。
怖い。つーかきもい。
「あったりまえだろ! 何を隠そう、今日が楽しみで楽しみで楽しみ過ぎて、夏休みが始まってから一睡もできなかったくらいなんだぜ!」
「一週間!? お前それいっそ病気だぞ」
どうりで目の周りがパンダ並みに真っ黒になっているわけだ。そのくせ目の光だけは異様に輝いてるから不気味でしょうがない。
「それわかる。俺も今日は寝坊しちゃいけないから、学校で一泊したし」
「心掛けはいいとしても発想がおかしいだろ」
「本当は現地のつもりだったんだけど、そこはぐっとこらえて学校にしたのは英断じゃないか」
「いやその『寝坊しないように待ってる』って発想がそもそもおかしい」
林間でこの有様だと、来年の修学旅行とかどんな事になるんだろう。現地集合どころか事前に下見で一回旅行に行きそうな勢いだな。
タカに至っては不眠と興奮しすぎで死にかねない。行事に行くだけで死ぬ可能性とか意味分からん。
「楽しみすぎて、きのうは二時まで寝れませんでしたよー。猫乃さんはどうでした?」
「私は逆ですね。寝つきはよかったんですけど、目覚ましの三〇分前に起きちゃいました」
「見ろ龍次。これが健全というやつだ」
「さすがにそれは同意しよう」
アホとバカの会話の後だけに、揚羽と春菜の和やかなやり取りが凄まじい癒しだった。
まぁ今の所突っ込んでしかいないが、俺だって今日は楽しみだった。なんたって泊まりの学校行事なんて人生でも数回しかないイベントなわけだし。テンションが上がらない訳がない。
もっとも、その辺の感情が睡眠時間に影響しない体質らしく、普段通りの睡眠時間だったおかげでこういう会話には混じりにくいけども。
「朱音は寝れたか? だいたい想像つくけど」
「何を想像したか知らないけど、たぶん合ってるわよ」
非常にいつもどおりの返答がきたので、やはり想像通りだったらしい。
まぁ毎朝五時に起きる人間だしな。俺と同じで。
その点、
「ぐー……」
近くにいるわりに会話に入って来ないと思ったら、亀田……。立ったまま寝るとか器用だな。
楽しみで寝れなかったのか、それとも朝に弱いのかは知らんが。
「寝る子は育つって言うし、身長に対して貪欲なんだよ、きっと」
「単に眠いだけだと思うぞ」
あと寝る子は育つとは言うが、立たなきゃいけない状況でまで睡眠を求める言葉ではないと思う。
なんとなく心配で立ったまま居眠りを続ける亀田を眺めていると、
ガコンッ
体育館の照明が消えた。という事は、来るか。
「一週間ぶりだな、貴様ら!!」
体育館に肌が震えるような大声が響き渡る。
俺は反射的に上の方へ視線を向けた。会長ならたぶん、高い所を探せば見つかるはず……。
しかし、予想に反してその姿は見えない。
ゴゴゴゴ……
「どこに……うおっ!」
ついそんな声が漏れたと同時に、何か巨大なものが動くような振動と音が体育館を揺らす。
首を振って音源を捜すと、体育館の中央の床から何かがせり上がっていた。
ステージだ。ステージの上で威風堂々仁王立つ会長に照明が集まる。
……………………いや、なんでだよ。何故学校にあんなもんがあるんだよ。意味がわからん。
「古来より、強さを求める者は山を登った。何故なら、そこに人知及ばぬ強大な淘汰があるからだ。人の一生では到底足らぬ雄大な世界があるからだ。ならばその強さと雄々しさの中で生き抜く事は、これ即ちそれらを我がものとするのと同義! たった三日という短い期間ではあるが、あの容赦なき世界で限界を極め、己を高みへ押し上げよ!」
例によって何故か学ラン姿の会長が、びしりと上空に指を突き立てた。
「それでは今この刻より、『激闘サバイバル林間学校〜生きたくば強くあれ〜』の開幕を宣言する!!」
「いえええええええい!!」
「ヒャッッハーーーー!!」
やはりというか案の定、会長のぶっそう極まりない言葉に異様な盛り上がりを見せる桐野高校生徒たち。
本当、何故みんなこんなに何の違和感もなく盛り上がれるんだろう。真剣にわからん。
なんか俺だけついていけなくて、なんだかものすごい疎外感だ。
「す、すごいテンションですね」
「朝からこんなに上げても疲れるだけなのに」
「あ、味方いた」
この空気の中でもいつも通りだった春菜と朱音の姿を見つけ、俺は安堵の息を吐いた。
よかった、俺だけじゃなかった。
「つーか生き抜くとか己の高みとか、林間ってこんな壮大な内容だっけ」
「馬鹿野郎!!」
バキッ
「ぐおっ」
龍次に殴られ、ついでに胸倉を掴まれる。
「てめえ、山なめてんのか!? あの大自然がちょっと牙を剥くだけで、俺たちなんざあっさりお陀仏なんだぞ!!」
「会長の話鵜呑みにしすぎだろ。つーか今、ノリだけで殴った?」
「あ、うん。正直ノリでした」
「なるほど。調子に乗りすぎだな」
「ソーリィィィアアアアアア痛い痛い痛い!!」
制裁の全力アイアンクローをかましてやる。龍次はひとしきり叫んだ後、静かになった。
「では、各クラス点呼を終えたらバスに乗り込んで行け」
俺達のやり取りを見ていた訳ではないだろうが、ちょうどそんなタイミングで会長が再び発言した。
***
……………………。
「樹くん、どうしたんですか?」
「私、酔い止めなら持ってますけど」
「いや、なんて言うかな。何か感じないか?」
俺は引きつった笑みを浮かべながら、左隣に座る揚羽に問いかける。
揚羽は顎に手をやって数秒考えた。
「うーん、ちょっと揺れてますねえ」
「それは単にバスが走ってるからだ」
そういう物理的というか身体的な話じゃなくてだな……。ええい、天然少女に訊いたのが間違いだった。
「春菜はどうだ?」
続いて右隣に座る春菜に顔を向ける。
春菜は少々萎縮した様子で、ちょっと俯き気味に答えた。
「えっと、こ、心なしか男の人がこの辺りに密集してるような……」
「そうだな」
でもその答えじゃ悪いけど五〇点なんだ。
やっぱりこの視線に晒される当事者じゃないから気付かないんだろうか。だとしたら、ダメージを受けているのは俺だけか……。
点呼の後、各クラスがバスに乗り込んだ。俺達D組が乗るバスは揚羽を含む一部のC組と合同で、クラスに構わず自由に座る事が出来る。
乗車すると、揚羽に名前を呼ばれた。窓際の席を陣取っていた揚羽は自分の隣りを指差しながら、「ここ空いてますよー」と笑顔で言ってくる。特に断る理由もなかったので、俺はその席に着いた。
何かがおかしくなったのはここからだ。
だいたいの生徒が乗り終えたとはいえ、他に席が空いているにも関わらず、春菜が俺の隣りの補助席を出してそこに座った。他の席も開いている事を言ってやると、「だ、駄目です……か?」と何故か顔を真っ赤にしながら訊ねられる。別にこっちとしては問題もないので、深く追求はしなかった。
こうして窓際揚羽、通路側俺、通路(補助席)春菜という女子二名に俺が挟まれる形で座席が決定する。
ここから決定的におかしくなった。
すでに席に着いていたはずの男子の大部分が席の交換をし始めたからだ。それも俺達の席周囲へと取り囲むような形で。
それだけなら単にむさいだけで終わる話だがそうはいかない。
その野郎ども全員がものすごい目で俺の方を見ている。視線で刺し殺さんばかりの過剰な殺気を含んだ目で。現在進行形で、だ。
何故こうなった……。
「両手に華で頭抱えるたぁ、おい御身分だな腐れ木頭野郎」
そんな怨念じみた声を投げつけてくるのは前の席に座る龍次だ。席の背もたれの隙間から目だけでこっちを見ている様は尋常じゃなく気味が悪い。
なんだあの負のオーラにまみれた瞳は。さっきまでのうざいまでのテンションはどうした。
「この環境の中で笑える精神は、俺にはない」
「あ?」
龍次からの目に見えない圧力が増した。目しか見えていないはずなのに、いつも一緒にいる俺ですら気押されるレベル。
お前、今だけなら会長とも互角に渡り合えるかもしれない勢いだぞ。何の覚醒だよ。
龍次からの無言の圧力に耐えかね、俺はため息を吐く。
しかし、この視線に屈した所でこの状況が改善するとは思えない。なんせバスの乗車時間はおよそ三時間。バスが走り出している以上、席の交換もそうそうできない。
となれば、龍次いわく両手に華(俺にとっては四面楚歌)の状況を何とか三時間堪え切る以外の選択肢はないわけだ。
何故林間学校の行きのバスからこんな意味不明に不幸な状況に陥らなきゃいけないのか謎だが、その辺は諦めよう。生き残ることだけ考えるべきだ。
「樹くーん。大丈夫ですかー?」
自分でもわかるくらいげんなりした表情をしている俺の顔を覗き込むように、揚羽が顔を近づけてくる。
「大丈夫そうに見えるか?」
「心なしか、はかなげですねえ」
あながち間違ってもない指摘だ。あと揚羽、いくらなんでも――――
「ああ、揚羽さん! ちっ、近いです!」
「え?」
慌てたように春菜が注意し、揚羽がのんきな声を漏らした瞬間、
ゴンッ
「のっ……」
バスが揺れ、その際にバランスを崩した揚羽の額が俺の鼻っ柱を打った。地味に結構な勢いでいい所に入った。
「び、びっくりしました……。あれ、どうしました? 鼻なんか押さえて」
「…………いや。揚羽、お前意外と石頭だな」
故意ではなかったとはいえ頭突きした張本人がきょとん顔で疑問符を浮かべているので、ダメージは皆無なんだろう。
そんな俺達の様子を見て、周囲は俺の方を見てガッツポーズをしている奴三割、殺気を膨らませた奴二割、何故か悦に入った表情をしている奴五割というカオスなリアクションだった。
本当、こいつらなんなんだよ。ただ見てるだけならせめて俺の見てない所でやれよ。
「天罰だよ、ツッコミ大好き丸。だがその程度の痛み、我が味わっている辛酸に比べれば塵にもならない」
「お前もしかしてあと三時間そのキャラ通す気か。あと誰がツッコミ大好き丸だ」
負のオーラも忘れてつい反射的に目の前にあるシートの隙間に手刀を捻じ込むと、前の背もたれの向こう側で龍次が見悶えた。